再現性が全てにおいて大切だ

 傑作を創る再現性のある作家にしか興味がない。いわゆる一発屋はどんな分野でも存在する。偶然、その時勢に合っていたり、自分の思い通りに創っていたら、傑作ができてしまった人たちだ。そういう人は、色々と模索をするだろうけれど、基本的には続かない。研究を続けていって、素晴らしい作家になることもあるけれど、ほとんどはそのまま落ちぶれていく。そういう人たちが創るものは、どんな傑作であっても、その偶然性を賛美したくなることはあれど、その人たちから盗めるものがないから、興味がわかない。追う必要がない。

 2作以上創れていれば、大抵は本物だ。偶然が重なっていることはほとんどない。作家が勝手に方向性を変えてめちゃくちゃになってしまうことは多々あるけれど。本物は追う必要がある。彼らには、傑作を創るための再現性のある何かを持っている。それを解析できれば、傑作に近づくことができるのだから、何度も接する必要がある。そのコアとなるものを炙り出したいという欲求が生まれる。

 しかし、どうして知りたがるのだろうね。これは手品の種のようなもので、知らない時が、暴こうとしていない時が、一番目を輝かせていられるだろうに。思うに、僕はその謎を解き明かすということ自体を、一つの大きなゲームとして楽しんでいるのだ。どうすれば、僕が最高に楽しい気持ちになれるような創作が生まれるのか。それを知るためのゲームを、この人生の主要なクエストとして設定している節がある。そうでもなきゃ、こんな空虚な人生を生きていられやしない。種がわかれば、全てつまらなくなってしまうかもしれないが、種を探そうという気持ちがあるからこそ、より楽しめて居られるのだ。普通に考えれば、傑作の秘密が明らかになるよりも、僕の人生が尽きる方が先だろう。