根幹

 僕は物心ついた時から、RPGが好きだった。好きというものの根底に、RPGに対する思いがある。どうしてそれが好きだったかというと、二つの理由からだ。

 一つは、シナリオだ。その世界を舞台にした、時々ゲームシステムまでを利用した素晴らしいシナリオの数々。それはまず、僕を魅了した。しかし、その気持ちは次第に薄れていった。なぜならば、RPGのシナリオを読むことは面倒だからだ。自分のペースで文字を読むことはできないし、戦闘からクエストやらが間に挟まって、物語に集中できない。次第に小説や映画、ノベルゲーへと移った。それはボタンを連打するだけで素晴らしいシナリオが読めたり、手を動かすだけでよかったり、何もしなくてもよかったりしたからだ。

 一つは、システムだ。敵の攻撃に対する駆け引き。自分の能力を高める面白さ。あるいは、逆にわざと制限をかけて、相手を突破する難題さ。戦略の柔軟性。しかし、その気持ちは次第に薄れていった。なぜならば、さほど凝ったことができないからだ。数十時間もできるほど面白いシステムはあまりなかったし、フィールド移動など、面白くもないものにとられる時間も多かったし、単純にレベルを上げるだけでよかったりするのが楽しくなかった。次第にアナログゲームシミュレーションゲームへ移っていった。システムとしての面白さを短時間で味わい尽くすことができるからだ。

 シナリオとシステムという両者は離れているように見えるが、しかし、同じ根から生えた枝葉のように思える。僕にとっては。それは繋がりだ。理屈の繋がりだ。理屈が全くないランダムなシナリオや、システムは想像できない。よくできたそれらは、互いが互いを補い合うような連なりでできていて、無駄がない。全てのことに意味があると感じられるものになっている。僕はそれに強くあこがれる。きっと、その世界には存在しえないものだからだ。その解析の過程だけはその中に存在していて、それは科学などと呼ばれている。また、これに惹かれているからこそ、僕は物事の根幹が知りたくて仕方がなくて、それが死と虚無感に結論付けられているように思える。

 だから、全ては一緒なのだ。僕のルーツというか、根幹があるように思える。それは、理屈付けなのだ。理屈付けられて欲しいのだ。それは、社会では叶わないことだ。人生には望みえないことだ。現実世界では重視されないことだ。だからこそ、僕はそれを架空の世界に求めるし、それは一生変わらないことだろう。そうだ。僕は、この理屈付けによって生まれる得も言われぬ高揚感を報酬として生きている。だから、それを最大化すべきだ。そうわかってきた。