アナログゲームとデジタルゲームの境界

 ボードゲーマーへの100の質問を読んでいたら(そもそも、100の質問という文化が古のネット文化になっている気がするけれど……)、スマートフォンなどを使用するゲームは、アナログゲームだと思いますか? という質問があった。なるほど、皆はデジタルかアナログかという点をそこで判断しているらしい。僕はそうではなく、ルールが全て公開されているかどうかだと思っている。

 

 アナログゲームというのは、本当に物理世界でやろうとした場合、全てを自分たちでセットアップする必要がある。何かが発生した場合、自分たちでそのコンフリクトを解決する必要がある。そのためにルールがあり、全てはそれに従う。ここで、ルール裁定者を用意し、ルールブックに記載されていない内容は、彼が決めるとしているのが、TRPGだ。ゆえに、自由度が高く、ルールに記載されていない内容もできる。ボードゲームはそうではなく、ルールに記載漏れがなければ、全てがルールに従って解決できるようになっている。ここで、特徴となるのは、たとえランダム性があるにせよ、ルールは全て公開されていることだ。例えば、ダンジョン生成なんかを見てみると、原初のデジタルゲームであっても、その法則をプレイヤーが知ることはできない。秘匿されたルールに従って生成されたダンジョンをクリアしていかねばならない。しかし、ボードゲームでは、ルールは全て公開され、それに従ってダンジョンを自分たちで生成していく。その差が一番大きいと思うのだ。

 例えば、MTGにおいてデッキから無作為にカードを1枚選ぶと書かれているのなら、本当に無作為に1枚選ぶしかない。しかし、「ハースストーン」などのDCGでは、発見のメカニズムがそうであるように、自分のクラスのカードが出やすいといったアルゴリズムが密かに使われている可能性がある。もちろん、これらの仕様は公開されているのだけれど、ゲーム中に、その時に確認できるわけではない。そうなると、僕はこれをデジタルゲームだと感じる。だから、MTGアリーナにおいても、BO1では土地のバランスが良くなるような調整が入っているからDCGだし、BO3ではテーブルで行うことをデジタル上でやっているだけだからTCGだと思う。

 

 全てが公開されているという状態は、多くの混乱とちょっとした制御感をプレイヤーに与える。その煩雑さが許容量を超えてしまったゲームも多くあるのだけれど(一部のTPRG、ウォーゲーム、ボードゲーム)、公開するがゆえにルールをシンプルに整理しなおしていたり、デジタルでは味わえない体験というものが、まだボードゲームには残っている。デジタルゲームが急速に発展した結果、ボードゲームの研究は周回遅れも甚だしい状態だけれど、それゆえに未知の領域が残っていると僕は思うし、それが楽しいと思っている。