コンポーネントというのは、物体そのもの、各部品のことです

 あまりボードゲームコンポーネントにはこだわっていない方だ。まあ、「レース・フォー・ザ・ギャラクシー」という宇宙を舞台にしている割にカードしかコンポーネントがないゲームがかなり好きだという時点でわかっていたのだけれど。でも、コンポーネントも大事だということがわかってきたので、それをまとめようと思う。

 第一に、コンポーネントは世界観を表し、体験を強化する。それをはっきりと自覚したのは「サイズ 大鎌戦役」のデジタル版をやった時だ。内容は全く同じなのに、体験として明らかに劣った経験をしたとはっきり感じた。「サイズ 大鎌戦役」の世界観はかなり気に入っていて、そのディーゼルパンクのメカが自然な農業風景に混ざっているという状態を再現するために、そのゲームのルールは作られている。だからこそ、そのコンポーネントがあってこそ、プレイが芳醇になり、良い経験になるのだ。駒は別にAや1といった英数字でもいい。しかし、たとえば、1という数字が移動しているのを観るのと、精巧で巨大な怪獣フィギュアが移動しているのを観るのと、どちらが危機感を抱くだろうか。どちらの方が、面白いと感じるだろうか。アナログは実際に自分で手に触れ、操作し、観るからこそ、コンポーネントの価値がより高まる。それはゲームをより面白くする。

 第二に、メカニズム、ルールをコンポーネントが表す。僕はこれもかなり重要視していて、これがよく出来たゲームを完成度の高いゲームと言ったりする。例えば、「サイズ 大鎌戦役」で駒を盤面に移動させた際に、駒で隠れていた能力があらわになり、その能力が使えるようになるといった、ルールを体現するコンポーネントいうものは、個人的にとても評価が高い。

 こういった、ある意味でフレーバー的なコンポーネントの良さと、システム的なコンポーネントの良さが大事なのだと思っている。前者は予算や流通量、容量といった物理的な制限があるので、あればあるほどいいが、最悪なくてもいいと思っている。しかし、後者はアイデア、作り込みといった領域なので、そこが甘いと必然的に面白くないのかなと思って、購入を躊躇しがちだ。僕は意味のあるデザインがとても好きだ。それは人生と違って、情報量と必然性の塊だから。