大脳新皮質は余計なことばかりする

 自然に行えたことも、意識してしまうと不格好な動きしかできなくなってしまう。そんな傾向がある。

 

 ある時、歩くという行為は、非常に複雑なことをしていると気付いた。音を立てないように歩いたり、あるいは逆にしたり。重心を意識したり、歩幅を意識したり。そんな遊びをしていた。思えば、それは登下校があまりにも暇だった小学生の頃だった。しかし、その時から、僕はどうやって自然に歩いていたのかを忘れてしまった。以来、歩くという行為は好きなのだが、どうも他人の歩き方を真似ているような、不自然な借り物を使っているような気がする。その違和感のせいか、足音がどこかおかしいらしく、よく他の人に、僕は足音だけでもわかるとからかわれたものだ。しかし、自分としては、どこがおかしいのかわからない。

 しゃっくりをする瞬間に、息を吸うという行為が流行ったこともある。以来、僕のしゃっくりの音はどこか変だ。別にもう息を吸うという遊びはしなくなったのに、以前の自然なしゃっくりに戻れなくなってしまった。そのせいで、しゃっくりをするたびに周囲の人が驚くため、妻が嫌っている。しかし、意識して直せるものでもない。

 飲み物を飲む時、液体は胃に行くのに、空気は肺に行くのを不思議に思い、いろいろな検証をしたことがある。以来、僕の液体の飲み方はどこか変になってしまい、むせやすくなり、空気を含みすぎるのか、飲み物を飲むたびに胃か喉で音が鳴るようになってしまった。静かな場で飲むもの休憩などをしていると、自然と問われるようになってしまい、毎度、面倒なコミュニケーションが発生する。

 

 そんなことばかりだ。自然にできていた問題のない行為を、わざわざ壊すようなことをして、元に戻せない。そんな不可逆性の障害ばかりを抱えて生きている。生きていることさえ、疑問に思ってしまった時から、死ぬことを意識してしまった時から、僕の人生は歪なものになってしまった。それでも、そっちの方がまだましだと思っているのだから、救えない。それもまた、いつかの不可逆的な変化だったか。