明確な論理があるから生きていける

 酒や薬物による意識の混濁を毛嫌いしている節がある。

 僕が明確な意識を持って、論理的に物事をとらえ、ただ大勢の人が信じているというだけの理由で何かを信じないようにしているのは、ただ、生きたいがためだ。ふんわりとした死生観や、ゆったりとした死への肯定感が僕に備わっていたならば、僕は間違いなくすでに死んでいるだろう。そうではなく、論理的にこの人生が何の意味を持たないと同時に、それゆえにすぐに死ぬ意味もないとわかっているから、死が不可逆的であるからこそ、僕は生きている。ただもったいないという理由で。もし、薬物やまやかしの情報で論理的に物事を考えられなくなったなら、その時は死んでしまってもいいという結論を導き出してしまうだろう。だから、その時点で僕は死んでしまう。はっきりとした意識と、しっかりとした論理があるから、僕は今日も明日も生きていける。皆がなんとなく信じているなんてものにすがっていたら、待っているのは真っ暗な死だ。なぜ、天国や地獄があり、輪廻転生ができ、幽霊になれると思っている人々が今すぐ死なないのか、とても不思議に思っている。