神聖視

 生や死を神聖視できない。生死は当たり前のことだ。別に普通のことで、物理法則に従った結果でしかない。長く生きようが、生まれる前に死のうが、自殺しようが、志半ばに殺されようが、まあ、そうなったというだけで、特筆すべき物事のようには考えられない。無限に生きられるというのなら、話は変わってくるが、いずれ死ぬのであれば、どこで死のうが大差はないように感じる。頑張って生きるとか、この世に生まれた奇蹟とか、そういうのがしっくりこないのだ。確かに、このような環境下に地球がいることや、生命と呼ばれるメカニズムが創られたのは、宇宙的に観ても特異なことではあるが、例えば、双子のブラックホールと思われる事象が見つかっているが、それも同様に珍しいことではある。珍しさを軸に生命を語るのであれば、同等のものは簡単に見つかってしまうだろう。僕が誰かに出会う確率はとても低いものであるが、それを奇蹟と呼ぶのであれば、同じようにコロナウイルスが変異したことも奇蹟だし、Aという個体のマウスがBという個体の小麦をかじったことですら奇蹟と呼べてしまう。

 他人の生や死をネタにできてしまうのは、そういうことなのだろうな。この世界で最も僕が執着を持っている人間ですら、死んでしまっても一抹の寂しさを感じるだけだろう。僕とその人たちが無限に生きられるのでなければ、死別は必ず発生する事象なのだから。