日常という繰り返し

 日常の作業を、かなりルーチン化してしまっている。これは意識していることというより、自然とそうなってしまう、という話なのだけれど。習慣化されていて、特定のタイミングで特定の処理が誘発する、という感じで日常生活を送っているのだ。これによって、ADHD気味の僕でも、日常生活が送れているし、そういった作業の時に別のことを考えることができる。そんな利点がある一方、実は結構、問題がある。

 まず、意識して行っていないので、やったのかやっていないのかを良く忘れる。風呂に入ったかどうか、みたいなことを忘れて、物的証拠を確認する必要があったりする。ルーチン化されているということは日々の差が少ない、ということであって、その記憶が今日なのか、昨日なのか、自信が持てなくなってくるのだ。

 次に、例外処理に弱い。今日は何か理由があって、少し別のことをしなければいけない時、よほど注意しなければ自然とそのルーチンを行ってしまって、本当にやるべき例外処理を忘れてしまうのだ。

 やはり、ポンコツだなぁ。やるべきことを忘れてしまうことが多く、自身にとって重要だと思っていることばかり考えている。問題なのは、その僕にとって重要なことは、他者にとって本当にどうでもいいことだ。