子供を描く難しさ

 僕は子供がメインになっている作品(映画とか小説とかで、後述するけれどアニメは例外的)は基本的に嫌いだ。なぜかと言うと、単純に面白くないと思っているからだ。そして、その原因としては、子供を描く難しさが挙げられると考えている。(ここで言う子供は小学生以下ぐらいを想定している)

 なんというか、映画とか小説とかに出てくる子供って、全然子供っぽくないですよね。基本的に、『大人が考えた子供』か、『子供の皮をかぶった大人』でしかない。セリフとか行動原理が、全然、子供らしくないと感じてしまう。つまりは、子供は大人が思っているほど愚かではないが、大人が思っているほど賢くもないのだ。子供って変な語彙とかを持っていたり、思ったよりも深いことを考えてたりもするのだが、視野が狭いから、本当に愚かだと思うようなこともする。でも、大人がそれをトレースするのは、めちゃくちゃ難しいのだ。

 ちょっと作品名を忘れてしまったのだが、直木賞か何かの賞を受賞した女性の方の小説は、子供が中心なのに、とても子供らしく書かれていて、ひどく感心した覚えがある。あるいは、「E.T.」や「ジュラシックパーク」を撮っていた頃のスティーブン・スピルバーグなどは、ちゃんと子供が描けている。これらは、本当に稀有な才能であって、そういう人が書かないと、「向日葵の咲かない夏」のような駄作が生まれてしまうのだ。スピルバーグほどの人であっても、だんだんと子供が描けなくなってきたのか、子供たちが中心を映画を撮らなくなってきただろう。「レディ・プレイヤー・ワン」は結構歳の言った子が中心だけれど、それでも怪しかった。

 つまり、子供を描くというのは、本当に稀有な才能であって、受賞したり、映画史に名を残したりできるほどの才能であるのだが、しかも、失われやすいのだ。子供を出し、それを中心にした時点で、リアリティレベルは否応にも下がってしまうので、さらに難易度は上がるばかりだ。

 そういう、難しいことを何故か意味もなくしたがる人たちがいて、辟易としてしまう。これらは、シリアス中のコメディぐらい、才能がなければできないことなのだから、凡人は凡人でも戦えること(シナリオの完成度とか)で戦えよ。

 「ウルトラマン」が初代から平成にかけてまで、結構子供が中心になることがあったのだが、やはり、あれは良くない。面白くない、と再放送を観ていて思う。今、支持されているニュージェネレーションと呼ばれる現代のウルトラマンでは、基本的に子供は出てこない。これは、間違いなく、良い方向に働いている。「シン・ゴジラ」で子供が出てこなかったのと同じだ。どうしても、茶番になる。これは演技がどうこうというより、やはり、脚本が子供を描けないからなのだ。

 アニメは例外的だ。やはり、情報量が欠けているし、キャラクターとして認識されるからなのだろう。アニメでないのなら、話の中心に小学生以下の子供を持ってくるのはやめた方がいい。茨の道である一方、得られるものは少ない。