社会が定義するもの

 「どうして殺人ってしちゃダメなんですか?」という動画を観た。タブーに関する動画を上げている人がニコニコ動画にいて、その第2弾がそれだった。端的に僕の考えを書いておこうと思った。

 

 まず、社会が殺人をタブーとしている理由は、そういう社会が最も利益を生むからというのが結論だ。殺人を許可した社会というのが、古今東西でほとんど存在せず、社会として発展することがなかったことをみると明らかだ。農業の開発により、人間は分業化し、専業化することで、あるいは、知識や資材を保存することで発展していった。それらが成立しなくなるのが、殺人が一般的な社会だ。つまり、そんな社会はとうに滅びしてしまっているし、そうでなくとも、すぐに一般的な秩序社会に負けて、消え去ってしまう。マッドマックスのような世界でもない限り。

 では、なぜ社会が許容している殺人、つまりは安楽死や中絶、死刑などがあるかというと、それもまた、そういう社会が最も利益を生むからに他ならない。これらは、一部例外がある。安楽死を認めない社会や、中絶、死刑を禁止する社会は普通に存在する。先の仮定に比べれば、社会に関する影響は小さいためだろう。しかし、安楽死を認めないということは、それにより精神が病むものが生まれたり、中絶を禁止することで貧困の連鎖や、結果としての殺人や虐待が産まれ、重犯罪に結びつく可能性があることは容易に想像がつく。もちろん、利点欠点があるため、そういった換算と、昔からの慣習によって、各社会が決めているというだけだ。

 

 まあ、基本的に、この世界に存在することの多くが、そうなるべくしてそうなっているのが考えればすぐにわかることばかりなので、少しがっかりするというか、考えごたえがないという風に僕は思ってしまう。特に社会的なものは、その方が利があるという簡単な説明が付くことが多く、あまり興味を持たない。結局、自然法則に敵うものなどいないのだ。この物理法則下で活動する以上、僕たちのあらゆる行動はその峻厳たる規則に従ってしまう。僕のこの思考や意思でさえも。