思考停止

 なんというか、単純に皆、思考を停止して生きているのだろう。そうでないと生きていけないというのはわかる。社会は僕たちに思考停止を促す。でも、流石にコロナウイルスが26度で死滅したり、EM菌が万能の効果を持っていたり、マスクが増産されるからトイレットペーパーがなくなるとか言い始めたりすると、僕に直接関係ないことでもうんざりしてしまう。

 普通に考えれば、それがあり得ないことはわかるはずなのだ。僕たちの体温が36度ぐらいであることは、流石に幼稚園児でも知っているだろう。ならば、その温度でウイルスが死滅するなら、病気になんかならない。簡単なことだ。しかし、その簡単なことが通用しなくなる空間があるらしい。驚くほど、社会の人々は、テレビで言っていたとか、友人が言っていたとか、そういうことを信用してしまうようだ。教授クラスの人だって、頓珍漢なことを信じているし、いわゆるエリート層も馬鹿みたいなことを信じている。そういう現実に直面するたび、僕は目を覆いたくなるほどの諦観と虚無感に襲われる。こんな現実を真面目な顔をして生きることなんてできないよ。まるでお遊戯会に放り込まれたようだ。僕は真顔のまま、首をかしげて困ったように嘲笑することしかできない。

 多くの人には、基本的な物理法則からそれがあり得そうなことか類推することも、ソースを複数当たってみることも、類似の研究を漁ってみることも、思いつかないようなのだ。それなのに、この世界を生きている。いや、生きていけるのはその通りなんだけれど、それがいいのだろうか。自分の考えが間違っているかもしれないのに。そんなこと、気にしていないのだろうか。自分の主義思想の基盤となるものが破壊されるとは考えないのだろうか。僕は考え過ぎなのだろうか。どちらにせよ、意味がないことだけは確かだ。真実を見据えていても、虚構に溺れていても、どうせ死ぬのさ。ならば、偽りで身を固めるのは、確かに賢いやり方で、事実ばかりを主張するのは最も愚昧なやり方かもしれないな。