快楽

 この世界で生きていることのどこが楽しいって言うんだ。

 食べ物が美味しいと何がいいんだ。どんなに金をかけた高級料理でも、いや、僕自身はお金を出してないけど、奢られて食べたけれど、正直言って、コンビニで買う、からあげの方が美味しいし、何なら、一日絶食した後のカップ麺が僕史上最も美味しい食事なぐらいで、楽しみにするようなものでもない。睡眠だって、それをしないと頭が回らないし、へろへろになるし、眠気で死にそうになるからするだけであって、そうじゃなくきゃ、あんな擬似的な死を毎日受け入れるなんて狂気の沙汰だ。あまりにも死に近すぎる。性行為なんて、あんな面倒臭いもの、良くみんなはお金を払ってする気になれるよ。自分が好きな相手でもないし、自分を好きな相手でもないのに、数万を払っている元同僚の気が知れなかった。温泉なんて、ただの熱で体が温まり、弛緩するだけで、わざわざ遠出してまでどこかへ行く気がしない。周囲の人の裸を見て、自分の裸を見られるなんて、到底了承出来ることじゃない。罰ゲームじゃないのか? お酒なんて飲んでも、頭は痛くなるだけだし、意識は遠のくし、吐き気は酷いし、まずいしで最悪だ。ブドウジュースの方がワインなんかよりよほど美味しい。発酵なんて余計なことをするな。たばこなんて、ただの空気を吸っているのと変わらない。なんか臭いがするだけだ。葉たばこだろうが、水たばこだろうが、なんか臭いがする空気で、あんなもののために、わざわざ火を使ったり、準備をする人はよほど暇なんだろうなと思ってしまう。無を吸って何が楽しいのだろう。賭博なんて、何が面白いんだ。自分の力なんて関係なくて、ただ運に身を任せた結果を提示されて、どこに面白さを見出すんだ。『面白さというのは、ある単位時間における意味のある選択の量である』と学ばなかったのか。ゼロだよ、ゼロ。それで手に入るのが、お金って。お金なんて、どうして欲しがるんだ。そんなものを欲しがれば最後で、1円より2円、2円より3円が欲しくなるんだから、飢餓が無限に襲ってくるに決まっている。そもそも、欲しいのは、金と交換される何かであって、お金そのものではないでしょう。全人類が死滅した後に、何兆円手に入れようが、なんの意味もないように。

 あ、でも、物語は楽しい。ゲームは楽しい。映画も楽しい。漫画も楽しい。だだ、正直に言って、みんなよりも楽しいと感じていないのではないかと思うことがある。それほどの執念は持てないと、哀しい気持ちになることがあるから。もしかしたら、僕は前述のように、社会が用意してくれている娯楽というものにとことん興味が湧かなくて、僅かな楽しみをかき集めているんじゃないかって、思うことがある。そのために生きていけるのかと何度も問う。それだけの楽しさがここにはあるのだろうか。