自己救済

 親切な時とそうでない時の差が激しいと言われる。確かにそんな気がしたので、どうしてか考えて見た。すると、簡単に答えがわかった。僕は目の前の人ではなく、過去の自分を救っているのだ。

 例えば、昔、海外で困っていたり、困っていた時に助けられた経験がある。それ以降、僕は海外出身の方々に対し、親切に接するようになった。これは別に、彼らを助けているのではない。助けて欲しいと思いながら、言葉の通じない相手に助けを求めることすら出来なかった僕自身を助けているのだ。あるいは、そんな僕を助けてくれた誰かを助けるために、目の前の人を助けることで代用しているのだ。子供に対して、尽くそうと思う気持ちも、親のせいで迷惑を被っていた過去の僕自身を救おうとしている気持ちなのだ。

 結局、僕は僕自身しか見ていないと、いつも妻に怒られる通りの生活をしている。他者は自分の鏡で、だから、この世界には自分しかいないように振る舞っている。こんな傍若無人な振る舞いは、いつか身を滅ぼすだろう。出来れば、僕の思考が明瞭なうちに、その時が来て欲しい。ついに来たかと、恐れと面白さを同時に感じることができるだろうから。それはきっと、未来の僕も楽しいと思うだろうから。