子孫繁栄

 ちょっとこの間、誤解されているのかもと思うことがあったことを思い出したので、書いておこうと思う。それは、創作上でいわゆる子供を産み、希望の未来へ踏み出すということに対しての僕の感想だ。僕は、それに対して嫌悪感を持たない。例えば、あるSF作品で、最終的に主人公とヒロインが結ばれて、エピローグで子供が産まれたことが示唆されて、というエンドでも、特に問題はない。作品としてまとまっていたり、テーマに合致していればとても素晴らしいエンディングだと思う。彼らは概念であり、キャラクターで、思考能力を持っているわけではないので、物語として上手く働いていれば、彼らが存在しうる目的は達成される。

 

 いや、ちょっと待って欲しい。君は散々、子供が産まれるエンドみたいなのを嫌悪していなかったか。そう思われているのかもしれないが、別にそうではない。簡単に言えば、二つのパターンにおいて、僕は違和感を覚えるという話をしていただけだ。

 一つは、「ダーウィンが来た!」のエンディングに代表されるような、子供が産まれることが特別視される傾向に対しての苦言だ。生殖というのは、ここまで残ってきた生命という能力が持ち得る、残存に適した能力であって、別に神聖視すべきものではない。排泄や摂食をわざわざ神聖視しないだろう(いや、する人もいるけれどさ……)。それと同じだ。例えば、ステンレスに腐食実験を行い、ある濃度の酸にも耐えることを示した時に、感動的なBGMを流し、未来への希望を語る者はいないだろう。そういう意味の分からなさ、頓珍漢さを感じるのだ。別に、生殖というのは、ある意味で当たり前で、取り立てて言及するような部分ではないのに、そこだけを神秘的だと、希望のようだと、勝手に無知な人間様が語っている様子が滑稽で嫌いだというだけだ。

 一つは、実在の人間が生殖をするということだ。それで幸せになるのなら勝手にすればとは思っているが、それはムカついたから人を殴ったとか、腹が減ったから売り物を盗んで食べたとか、我慢できないから路上で排泄したとか、そういうもののようにしか、僕は感じない。少なくとも、明確な思想がない限り。僕が上記した行為も、何らかの明確な思想があれば、それは芸術や思想の表現、社会への抗議ととらえられるが、そうでなければ、理性が働いていない証拠だと思われるだろう。それと同じだ。ただ、生殖だけが神聖視されているのはおかしいと、まあ、根は同じ主張なのだが。

 

 だから、僕は別に作品中の誰がどうしたとかで、文句を抱いたりはしない。作品のテーマを完遂させるためなら、完成度を高めるためなら、いくらでもすべきだと思うし、生殖に関しては、特に作品の価値を低めるものだとは思っていないし、むしろ、一般的には面白くなるために入れるべきものだとすら思っている。僕は親子関係というものに反対しているが、「インセプション」も「インターステラー」も「スパイダーマン:スパイダーバース」も「ヒックとドラゴン」も大好きだし、大傑作だと思っている。それとこれとは話が別なのだ。あくまで、創作上の出来事は創作上の出来事だ。その中で矛盾していなければ良い。彼らは実在して思考する人物とは異なり、人間を楽しませるために創られた概念上の人形に過ぎないのだから。