批評に関して

 一括りにされがちだが、批評というのも、幅がある言葉だと思う。結構やっていることも異なるし、目的としていることも異なるから、一緒くたにするのは可哀想だなという思いがある。

 

 一つは、単純な感想、レビュー集のようなものがある。サイトで言えば、「超映画批評」とか。良いところとか悪いところとか書いてあって、主観的な感想が書かれている。点数とかが書かれていることも多い。僕はこれが好きで、批評と言えば、僕の中ではこれを指す。

 一つは、物語の解析。一つの作品に関してやっているところもあるし、物語論や、文化論のように大きな流れを追っていくものもある。ペトロニウスさんの「物語三昧」とかは割とこれに近いと思う。彼が属しているサークルが出している本とかもそう。これは僕としてはかなり利用価値が高いものだと思っている。普通、こんなに多くの作品を読んで、解析なんて手間がかかりすぎて出来ない。それをニートやら超人やらがしてくれるのだから、喜んでその結果だけを奪い取ろうとしている。物語自身が、創作者を介して影響し合う以上、セカイ系とか、日常系とか、なろうとか、ジャンルの流れと問題定義、その解答と言ったやり合いは存在すると思っているので、このタイプの批評はそれを網羅的に把握出来るのが良い。

 最後に、作品を利用した思想語り。こいつらのせいで、批評みたいなものがうさんくさいと思われているのだろう。僕はこういうのが割と嫌いで、何故かと言えば、作品自体にフォーカスしているというより、自身が興味を持つものと無理矢理繋げているかのように思えるからだ。そもそも、僕は作品自体が語っていないもの、特にその思想を発展していく形の受け取り方が嫌いで、それを想定している作品も嫌いだ。単純に面白くないのだもの。後期の押井守作品とか、TVシリーズのエヴァンゲリオンとか、作品がつまらないのに、なにかテーマを掲げられても、という気持ちになってしまう。だから、こういった類の信者が存在する作品はあまり好きではない確率が高い。例外は存在する。僕自身が信者になってしまっている作品が存在するので。

 

 まあ、つまりは、僕にとって、物語の批評というのは、より物語が面白くなっていくために必要な行為という考えなのでしょう。それは物語自身の存在価値の僕の定義と一致する。