汚いものに関して

 僕は作中に汚いもの、特に生きることに関して近いそれが描写されているのが、極端に嫌いで、そのせいで、例えば、「イリヤの空、UFOの夏」なんかは未だに好きになれない。嫌悪感からあまり思い出せないのだけれど、確か大食いの話が載っていたと思う。これは僕の嫌いな部分にかなりクリティカルヒットしてしまった。まず、食事の話は全般的に嫌いで、それは僕自身が食事という行為を密かに嫌っているからなのだと思う。生きるためにしなければならない、嫌悪感のある行為というわけだ。そう言った描写が駄目なのだ。情報だけならいいのだけれど。あとは排泄とか性描写とかそういうのは全般的に駄目。

 というのも、汚いものをわざわざ書いたり読んだりする必要なくないですか? と思っているせいだ。それで、現実感とかを出したいという気持ちもわかるが、それをしなくても、同じような効果が得られるような方法はあるはずだ。それを模索しないのは、怠慢なのか、そもそも嫌いに思っていないかのどちらかだと僕は思ってしまう。そうなると、この人とは美意識が異なるのだなと思って、興味が失せてしまう。不要なものを取り除けるのが、創作の最大の利点だと思っているので、全てが無駄なく、完璧であって欲しいという思いがある。その感覚もより、そういった描写を嫌う理由になっているのだろう。だから、一部作家の文学作品もあまり読めない。なんか変な話だよな、と自分でも思うのだけれど。