「メギド72」の実装に関して

 常々考えているのだけれど、「メギド72」のフォトンドラフト、オーブ、クラス・スタイル、ターゲッティング、覚醒、MEの実装は割と奇跡的なかみ合いをしていると思っている。それが計算によって生まれたものなのか、経験によって生まれたものなのかわからないが、どうしてこれらが素晴らしい実装なのか、僕がわかっている範囲でまとめようと思う。

 

 まずは、基幹システムであるフォトンドラフト。これは味方と敵で行動権を取り合うというもので、非常に素晴らしいものになっている。なんのフォトンが生じるのかは完全な運なので、時々による判断が必要になる。TCGやボードゲームで明らかになっているように、味方と敵の行動を考える必要があるドラフトという構想はシンプルでありながら、非常に奥深いものだ。また、1体に3個まで乗せられ、5個までドラフトできるというバランスが素晴らしい。普通にやると、強いキャラクターに強い行動を繰り返させることに限界があるし、回復キャラやバフキャラのように必要な場面でしか行動しないキャラクターに一部RPGの防御のような無駄な行動を選ぶような手間もない。これが最大の発明であることに疑問の余地はなく、他のシステムは全てこれを補っている。

 オーブというシステムは限定的ながら、フォトンドラフトを否定できる。つまり、安定的な行動を取ることができる。また、スタイルが限定されるが、キャラクターを超えて同じ効果を発揮させることができるので、回復のように非常に重要だが、複数のキャラクターのスキル枠を埋めたくない能力を補うことができる。総じて、個性の強いキャラクター性能や運要素の強いフォトンドラフトを補うシステムと言える。

 しかし、それを万能にしないのが、スタイルという実装だ。いわば、TCGの色である。MTGにはカラーパイという概念があり、これは各色にできる役割を得意/苦手/不可能というように分配するというものだ。これにより、万能のカードやデッキが生まれないようにしている。メギドでも同じで、できるものとできないものがある。さらには、これによってオーブが制限されているから、オーブの万能さにも蓋をしている。

 そして、ターゲッティングとクラスの実装が素晴らしい。それぞれの行動にターゲットを実装するのは、UIを考えてもスマホでも面倒で煩わしい。そのため、ターゲットを自動のものに任せるか、一つだけに制限するかに自分で選ぶことができる。どちらの場合も理想の動きが出来ることはあまりなく、なにかを諦めなくてはいけない。フォトンのランダム性と合わせ、単調な戦闘が起こりにくくなっている。また、前衛/後衛をこのターゲティングと密接なものにすることで、メギドの設計のバリエーションを増やしている。

 また、覚醒というシステムも素晴らしい。メギドのようなシステムのボードゲームを設計した時に感じたのだが、これがないと、同じようなフォトンドラフトをすることが格段に多くなるのだ。覚醒がないと、相手と自分の構成から、最適なフォトン配分は簡単に決まってしまい、最善、次善……というバリエーションがあるだけになってしまう。しかし、相手や自分の覚醒状況が毎ラウンド異なるために、最適が常に変化していくのだ。フォトンのランダム性も合わさり、同じ盤面がなかなか生まれないようになっている。

 MEも理想の構成をより考えさせるものになっている。スタイルごとに出来ることは異なるため、それを統一するのは、本来弱い構成になるのだが、MEは通常、スタイルを統一すると、より強くなる。制限を受け入れて強い効果を発動させるか、制限を破り、自由度を上げるか。これは一般的なゲームにおける属性の得意不得意による制限よりも格段に深い考慮を生ませている。

 

 こういった素晴らしい戦闘システムの基本的な実装が重なったおかげで、「メギド72」という戦闘が面白く、飽きにくく、拡張性が豊かなゲームが生まれたのだ。この奇跡を出来れば長く味わいたい。そう思っている。(というか、他のゲームもこれぐらい練られた基本設計をしろよ……基本設計は変えられないのだから)