強制されることが苦手

 在宅勤務のせいもあって、逆に早寝早起きになってきている。僕は天邪鬼なので、ギリギリまで寝ていいと言われると早々に起きて準備をしだすし、余裕を持って行動しろと言われると、ギリギリになるまで動き出さない。その他にも精神の調子が良い理由は色々とあるのだろうけれど、強制されている感が少ないのも大きいと思った。

 

 例えば、勉強についても、正直、毎日学校に行って、皆と同じ速度の授業を受けるという風習が完全に合っていなくて、いつも退屈だっただけで、自習する分には特に苦痛を感じなかった。性根が飽きっぽく、そういう気分でないことも多々あったが、別にそういう時はやらなければいいだけだ。気分が乗った時に勉強するだけでも、少なくとも僕が受けた大学や、そこでのテストをクリアするだけの学力は得られたし、それで問題なかった。強制力があるから反発して嫌な気持ちになるのだ。

 仕事だって、そうだ。毎日決まった時間で決まったことをやっているのだから嫌になるのであって、ゲームのクエストのように、これをやればいくらというものが並んでいて、それを受注し、クリアしたら報酬をもらうという形であれば、生活に不自由しない分の仕事は請け負うだろう。その日の気分に応じて、程度を決められるわけだ。自分で言っていて、これ、めちゃくちゃいいと思った。現実は真逆である。ただ、在宅勤務は、時間や仕事のペース含め、割と自分に裁量がある感じだ。

 逆に、とても嫌いだったのは、自動車教習だ。あれ、どれぐらいの時間でどのことをやるかというのがきっちりと決まっていて、自分の中での習熟度に関係なく物事が進んでいく感じが嫌悪感まみれになった。しかも、自習という形が取れず、その大嫌いな教習の範囲でしかステップをクリアしていくことができないので、いつもキレそうだった。あんなに嫌いなものは、これから先、出会うこともないだろう。

 

 なんでこう、色々なことが大まかな枠で動いてくれないのだろうか。細かいことばかり強制されていたら、誰だって嫌になるに決まっているのに。いや、そうではなくて、僕だけなのかな。