死の夢

 悪夢のようなものを見にくい。おそらく、記憶しているものが違うのだろう。夢というのは、記憶を整理している際に発生する副産物のようなものなので、どのような日々を過ごしているかが如実に表れる。数年前、夢の要素を分解して、どのような記憶が反映されたのかを調べるのが僕の中で流行った。それぐらいには、日々の反映という感じで、悪夢はあまり見ない。見ないのだが、今朝は見た。死ぬ夢だった。そういえば、死ぬ夢はよく見る。銃で撃たれる夢を見た。病気で死ぬ夢を見た。飛び降りて死ぬ夢を見た。轢かれて死ぬ夢を見た。夢で死ぬと現実でも死ぬというが、あれは嘘だ。僕は死んでいないから。

 今回は、呼吸困難になって死ぬ夢を見た。きっと、コロナ感染者の手記をネットで読んだからだろう。僕は人の日記が好きなので、難病の闘病日記などをよく見る。そして、それで死ぬ夢をよく見る。今回も、コロナとかいうわけでもなく、なんかよくわからない部屋の中で唐突に息苦しくなり、会話ができず、そのまま人工心肺につながれた。苦しい中、周りの人にそれを伝えようとするのだが、そのまま息苦しくなって死ぬという夢だった。よく考えれば、「僕のヒーローアカデミア」のアニメを一気見した影響も出ているのかもしれないが。主人公などが集中治療室に運ばれていたりするので。

 その死の感覚が妙にリアルだった。夢の中の感情というのは、純粋で混じりけのない感情そのものだと僕は思っている。少なくとも、経験上は。面白さも喜びも苦しみも恐怖も、夢の中より現実の方が不純で、不十分だ。雑念があると言ってもいいかもしれない。どんな感情にある時も、それを嘲笑っている部分と、冷静さを保っている部分がある。現実では、脳が複雑な動きをするからだ。でも、夢の中ではそうではない。純粋な感情を抱く。死に対してもそうだった。だから、起きてすぐ、生きるのが嫌になって二度寝をしてしまった。あの恐怖を前にして、生きていく気なんてできやしない。僕はよく、死から目をそらしている人々を非難しているが、そうさ、僕だってそんな人の一人だ。人より目を向けている時間が長いかもしれないが、意図的に目をそらしている時間も多い。そうやって、生きている。そうでもなきゃ、まともになんて生きていられない。あんな恐ろしさに寄り添えって生きていくことなんかできない。

 ああ、あの苦しみを、あの恐怖を味わうなんて思うと、余計に外に出たくなくなる。まあ、それが許される珍しい期間なのだから、精一杯、家に籠ろうと思う。