密度とひねり

 ルッソ兄弟の創作術の話がインターネットにアップされていた。そこで、彼らは物語には密度とひねりが必要という話をしていたそうで、まさにその通りだと思った。

 基本的に多くの物語が、所要時間に対して簡単すぎる話を使用しているせいでつまらなくなっていると思う。実際、物語が複雑すぎて理解出来なかったって現象、ありますか? あると思った人もいると思いますが、それ、創作者がわからせる気がなかったのが一番の原因であって、その物語をわかりやすくその時間で説明したとしたら、わかると思うんですよね。あと、物語に関係のない設定の詰め合わせや、固有名詞で嵩まししていることもある。つまり、単純な物語構造が複雑ということは、あまりないのだと思う。だから、単純に退屈で、飽きてしまうのだ。

 ひねりも重要で、これは人間が先を理解していく生き物である以上、よほど短い作品でなければ、あるいは、よほど短い作品であっても、その予想を超える展開が必要だと思っている。ここで言うひねりは、予想を超えることが大事なのであって、予想を裏切るでは、良くないことになる可能性がある。つまり、予想とは違うということをするのは簡単だ。突拍子のない展開にすればいいのだから。でも、それはこれまで積み上げてきたものをただ壊すだけのものであって、物語そのものを否定するだけになってしまう。そうではなくて、物語が積み上げてきたものを利用して、相手の予想を超えていくことが大事なのだ。

 密度を高めることは、すごい難しいことだと思う。時間当たりの理解される情報量をなるべく多くする必要があるのだから、観客のことをしっかりと理解してなければならない。自分で創った作品を、定期的にフラットな視線で確認する必要がある。それがどんな離れ業なのかは、世界で数多創られる作品たちをみれば、すぐに明らかになる。