量子力学の観測問題

 結構な知識人が勘違いしているのを見て、意外とみんな知らないとかな、と思ったことがある。それは、量子力学における観測問題、つまり、二重スリット実験やシュレディンガーの猫のことだ。観測していないと波の状態で定まっておらず、観測すると粒子になるという奴。これに、人間の意識が関わっていると勘違いしている人がいるという話だ。もちろん、「とある魔術の禁書目録」みたいな作品は、論外だとしても。

 たとえば、少し考えて見よう。シュレディンガーの猫の実験が、人間の意識によって観測された時に、生死が確定する事象だとしよう。なら、その対象が人間だとしたら、どうだ? 内側からの意識では、物事が確定しないのか? むしろ、内部の対象の知的レベルや、動物か静物かと言ったところで事象が変わると? つまり、変わらないのだ。意識なんていうのは関係ない。

 なら、どうして、二重スリット問題で、観測するかどうかで結果が変わるというのか? それは単純に、観測という行為によって、簡単に壊れてしまうほど、その二重状態は弱いのだ。簡単に崩れてしまう。観測という行為によって、重ね合わせの状態が壊れるという話なので、人間の意識なんてものは一切、関係がない。残念ながら。

 僕はこれを知った時、かなりがっかりした記憶がある。だって、科学によって駆逐されてきた中、科学の中に残された最後の希望みたいなものじゃないのかと思っていたからだ。量子力学を持ち出すことによって、それこそ、とあるみたいに超能力なんかが使えてもいいんじゃないかと思っていた。けれど、現実は残酷で、人間が滅びても観測装置が残っていれば、二重スリット実験は成り立ってしまう。物理法則は平等であるが故に、人間という特別性と取り去ってしまうのだ。僕たちは少し出来の良い猿であって、少しばかり複雑に動く火山のようなものだと忘れてはならない。