創作の目的

 モチベーションの話でも書いたのだけれど、色々調べていた結果、あるサイトに辿り着いた。

 

 そこでは、ある創作者がいて、小説を書いたり、ゲームを創ったりしているらしい。そして、彼は嘆いていた。自分の作品が評価されず、産まれた時から死んでいることを。その読者や受け手が無知で無学なせいで、自分の作品が正当に評価されず、内容のない作品ばかりが持ち上げられていると。その発想はなかった、と素直に思った。

 まず、僕は基本的に創作はエンターテイメントと芸術に分けられると思っている。前者は、民衆を楽しませるものだ。後者は、なにかを表現するものだ。物語と表現と考えてもいいと思う。大衆向けと評論向けに近いものがあると僕は考えている。そこにおいて、前者はどれだけ大衆から支持を得られるかが肝となり、後者はどれだけ自分の想いを表現できるかが肝となるはずだ。だから、自分の創作をした結果、民衆に受け入れられなかったが、民衆は間違っているというのは、矛盾しているように感じてしまう。

 そもそも、みんなってそんなに観る目ないのか? 確かに、これは仕組まれた流行だろ……とか、言うほど面白いか、これ? みたいなことは往々にしてある。しかし、それは自分の感性がずれているだけだったり、やっばり、一過性のブームに終わったりする。基本的に、みんなの評価は正しい。というか、そこにしか本質がない。面白さというのは、あくまで主観的なものだから、それがもし、概念として絶対的な面白さというものがあったとしても、あくまでみんなの反応を見ながら、そこに近づけていくしかない。僕はそう思う。実際に、「スパイダーマン:スパイダーバース」や「ベイビー・ドライバー」はRotten Tomatoesでも高評価だ。ほら、みんなちゃんと観てるじゃないか。正しいでしょ。

 もし、そんなのは気にせず、自分の中から沸き上がる情動で創作するというのなら、それこそ、どんな評価だろうが気にすることはないはずだ。多くの画家なんかはそうで、生前に評価されなくとも、素晴らしい作品を描いている。そういうものだろう。

 僕が見たホームページの創作者はそのどちらでもなくて。つまり、自分の作品を、自分が認めている人に、認めてもらいたい。そんな欲求しか読み取れなかった。そりゃ、死産しちゃうでしょ。目的が矛盾しているんだから。

 よく考えれば、僕は全くその逆だ。僕の作品が認められようが貶されようがどうでもいいが、みんなが面白いと思う作品を創りたい。僕のこの思いは矛盾しないが、逆を向くと矛盾するようになってしまう。良かった、矛盾した思いを抱かなくって。