キャラクターを人と思えるだろうか

 近年のソシャゲで、ストーリーがいいと言えば、メギドかFGOかシャニマスかというような風潮がある(個人差があります)。なので、シャニマスのシナリオを読んだのだけれど、どうにも微妙に思えた。確かに、良く出来ているとは思うのだが、面白いとは思わないというような。それで思ったのは、僕はキャラクターを基本的に人として認めていないということ、そして、それが人物描写に力を入れた物語を軽視することに繋がっているのではないかということだ。

 率直に言うと、物語のキャラクターがどうなろうが知ったことではないのだ。何を考えているかも知ったことじゃない。あくまで、彼らは面白い物語という機械を動かすための歯車という気持ちが強い。一部の人に、小説やゲーム、漫画のキャラクターが現実らしいと評価する向きがあるが、僕は常々それに疑問を感じている。実在するような人物が描写されていたから、なんだというのだ? それならば、現実の人々を見ればいいし、現実の人間シミュレーターでも開発していれば良い。そうではなくて、創作物のキャラクターは、あくまで、創作上の物語を駆動するために用意されたものであって、創作物の深みや広がりを作るためのものだ。その構成要素がリアルであれば、リアルであるほど面白いとはならないだろう。目的と手段が混じったような意見のように思える。もちろん、現実のような複雑性を持ったキャラクターが、面白い物語を生むことも多いとは思うが。しかし、物語を犠牲にしてまで、成立させるものとは思えない。

 そういう視点を持っているから、どうにも人物に対する視点が弱いのだろう。だから、人間に焦点を合わせたような作品だと、僕にとっては、何もないように感じてしまうのかもしれない。キャラクターを実在する人物のように思えないのだよね。どうぶつの森をやっていても思うのだけれど。妻は割と、こいつはこういう人格だとか思っているようなのだが、僕にはやっぱり、データの塊にしか見えない。あるいは、それは物語観ではなくて、人間観なのかもしれないな。他者と自身をあまりにも強く分けたがる癖が、そういう視点を与えているのかもしれない。