創作の理由

 調べていたら、創作のモチベーションには、四つの種類があるという。

 一つは承認欲求。なんか読者を馬鹿にしつつ、自分の作品が認められない~なんて嘆いているホームページを見つけて驚愕したことがあるが、そんな人はこれがモチベーションなのだろう。自分で創ったものを認めてもらいたいのだ。

 一つは憧憬。キャラクターや職業、先達に憧れて創作をするタイプ。

 一つは表現欲求。これが芸術家と呼ばれる人々のモチベーションだろう。コミティアとかでもよく見るタイプのように見える。自分の中にある何かを表現したくて仕方がない人たち。生活を犠牲にしてでも、作品にのめり込める人々だ。尊敬する。

 一つは探求欲求。面白さや美を追究したい人で、学者タイプらしい。

 僕は、この最後の探求欲求だな、と思った。すごいと思う人も尊敬している人もいるが、生まれてこの方憧れた人はいない。僕の内側は虚無で、何か沸き上がる創作意欲みたいなものが存在するわけでもなく、その証拠にオリジナリティーは欠片もない。別に誰かに認めて欲しいと思っているわけでもなく、そんな人間ならとっくに労働に打ち込めている。人類全てが消失したとしても、僕の中にある創作へのモチベーションは微塵も変化しないと言える。

 つまり、僕は探求がモチベーションで、それは学者のようなものだ。そう考えた時、僕の中でまた一つ、腑に落ちることがあった。

 僕はよく、どうして創作をするのだろうと考えていた。だって、脳内のシミュレーションでも、ある程度探求を進めることはできるからだ。もちろん、最終的な評価は、作品として完成し、大衆に測ってもらうことで生まれると思っている。けれど、そこまでの労力を掛けることに、どうしても、納得がいっていなかった。

 しかし、納得のいく説明がつくようになった。

 僕の物語のことを考えていきたいというのは、人生のテーマのようなものであって、学者や研究員における科学のテーマみたいなもの、というかそのものだ。しかし、彼ら研究員は、仕事をしながら、プライベートの時間を削って研究をしているわけではない。もちろん、例外はいるが、基本的にはそれでは予算と時間と環境が足りない。なるべく多くの時間を研究にかける必要があり、それを欲しているからだ。なら、彼らはどうする。論文を書き、科研費のコンペに応募する。つまり、アウトプットをするのだ。そうすることにより、彼らは研究の正しさを検証できるのと同時に、研究を仕事にすることができているのだ。

 僕にとってのアウトプットも、これと同等だと思えばいいのだ!

 急に理由が付いた。ただ、目的もなくダラダラと、どこに公開するでもなく、自己満足でやっていたことに、方向が付き、理由が付いた。ならば、やるべき事は一つだ。

 ようやく、僕は僕なりのやり方と、その根拠を見つけることができたようだ。