メンツに関して

 今日、少し面白いことがあった。

 福袋を買いにあるショップの行列に並んでいたのだが、その時に前で待っていた人に因縁を付けられたのだ。ぶつかったとか、その程度のことだったと思う。最初、キレられた時に、リアルに言語が聞き取れない病気が発動し、なんか言われたということだけがわかった。そう言えば、海外の人も多いなと思っていたので、自然とSorryと謝ってしまった。実際のところは、日本人なのに。それでどうやら、僕に煽られたと思ったらしい。ソーリーじゃねえよ、と言われて、ようやく状況が理解できた。これは本当にシュールな状況で、その時点でとても面白かったのだけれど、その後に相手が要求したことが、よく興味深かった。彼が要求したものは、謝罪だったのだ。

 僕は誰かに謝罪を要求することはない。再発防止策を要求したり、対価を支払って欲しいということはある。しかし、謝罪は必要としない。なぜならば、それが成されたところで何も生み出さないからだ。相手が謝る姿が見られる。それにどんな価値があるとでも言うのだろうか。自分が被ったマイナスと同じだけ相手がマイナスになるか、そのマイナスを充填するか、無理ならばもうマイナスが発生しないようにしてもらうか。それしかないと思う。だが、彼はそうではなかった。

 それで、面白くなってしまって僕は笑ってしまったのだけれど、残念なことに相手は激昂する。それが何の意味もないってことに気付かないままに。で、時々、一緒に連れている彼女らしき相手を見るのだ。つまり、彼は、その実、因縁となった出来事、ぶつかったとか、そんなことには興味が無く、僕たちにも興味がないのだ。暴力を振るったとしても、その対象となる人に対しては、何とも思っていない。問題としているのは、仲間だったり、大切に思っている人だったり、尊敬されたいと思っている人だったりする。彼らが自分を強く逞しい存在として認められているかが大切なのだ。これはチンピラやヤクザの文脈として、フィクション上ではたびたび語られることがあるのだけれど、それが本当に存在することがわかり、とても嬉しかった。

 だから、舐められたような態度、どうでもいいと対応されること、が彼らにとって最も大きな問題となり、彼らは行動を過剰化させることしか対策が取れない。そうすることによって、相手が態度を変えれば、それはチキンレースに勝利したことになり、故に自身の方が上だと判明するからだ。この示威行為は多くの動物のオスに見られる行動で、ホモ・サピエンスという知能においては史上最強の動物でさえ、そのくびきから逃れることが出来ないという証左を見た。興味深いでしょう?

 

 思えば、僕は何かと厄介な人に絡まれる体質で、物心ついた時から良くこういうことが起こる。僕の幼少期は、父が気分屋なのに怒りっぽく、暴力をたびたび振るうような人だったために、怒られることがとても怖かったことを覚えている。そのせいか、得体の知れない人から怒られるという状況に怯えていたけれど、もう慣れてしまった。それぐらい絡まれるのだもの。警察を呼ぶ、呼ばれることも多く、そのたびに母が来ては、いずれ後から刺されて死ぬから、折れることを学べと言われていた。別に意地を張っているわけではなくて、いい大人が理性的になれずに、変な言動をしていることが面白くて笑っているだけなんですよね。口論にすらなっていない。だって、冷静に考えればシュール過ぎる状況でしょう。怒った本人だって、冷静になった時、何やったんだろう、と思っているはずだよ。最終的に本人から謝られることも多かったし。

 子供の頃に疑問に思っていた、理性的でない大人の思考回路がわかって、一つ発見の出来た一日だった。こういう人が、その精神構造を保ったままに時を過ごしていくことに、僕は他人事だから嗤えるけれど、本人になったつもりでいるとぞっとしない。おぞましく、哀れで残酷なことだと思う。僕たちは彼らと同じく真実に対する盲人だけれども、その僅かな手触りで事実を論理的に推測できるだけの知識や知能を持ち合わせていることに、感謝せざるをえなかった。現実世界はグロテスクなホラーだよ、本当に。