そんな未来のことが一番重要だと思うことに関して

 この間、とても驚いたことがあった。それはニコニコ動画にあがっていた、ガンダムユニコーンVSネオ・ジオングの動画を観ていた時のことだった。

 その作中でのやり取りで、ネオ・ジオングに乗っているフル・フロンタルが宇宙の未来を見せるシーンでのこと。僕は詳しくは知らないのだけれど、類推するに、彼は強力なニュータイプとしての能力を持っており、それによって、宇宙の未来を見ることができるようだ。そして、彼は全てが消滅し、凍結してしまった未来の宇宙、その果てに主人公と共に行く。それは完全なる虚無であり、人が何をしようがどうせ、そこに辿り着くだけだという。それは実際に、この宇宙の事実、真実でもある。

 けれど、その時のコメントは、『そんな遠いことを言われても……』といった風潮だったのだ。ここで、僕は「アニー・ホール」のあるシーンを思い出していた。主人公は宇宙がいずれ死ぬことを知り、怖くなっている。ゆえに学校でもまともに振る舞うことができず、医師にかかる。そこで、医師は『宇宙が死ぬのはもっと遠い未来のことだ』といったような論旨のことを言う。気にすることではないというように。

 世間の意見というのは、これで一致しているようだ。僕には本当に理解できない。最終的にどうなるのか、この行為の行く末がどうなるのか、それが一番大事なことじゃないんでしょうか。皆はいつも、それを気にして生きているはずだ。たとえば、あることを成したいと思ったら、そのために準備をするでしょう。結果を想定して、そのために努力をしている。それが、宇宙規模になったからと言って、急に論理構造を反転するようなことになりますか? 僕はそんなめちゃくちゃなこと、到底出来やしないと思ってしまう。やはり、結果が全てなのだから、遠い未来に、僕たち人類が行ってきたことは全て無に帰して、一時の夢になってしまうというラスボスの主張の方が正しいとしか思えないんだよね。

 僕はこれを超えることが出来ていないんです。

 こういう主張をするラスボスは良くいて、主人公は何かと理由をつけて反抗し、結果勝つんだけれど、主人公側の主張が正しく思えたことがない。いつもそうだ。

 似たようなことに、安寧に生きられるが未来と自由のない鳥籠の中よりも、危険だが自由のある荒野に出るべきだという主張がある。これは、僕も後者に賛成しているし、それは作中の主張と被らないんだけれど、それは結局、虚無にしか繋がらないっていう先の問題まで続いていく作品が本当に少ないと思っている。「銀河の死なない子供たち」もそうだ。僕が観たいのは、あの作品の最後に不死を放棄して飛び立った子供が、それでも何も目的を持てないことに気付いて、虚無のままに死んでいく時に何を思い、何が正解だったかなんだ。

 ハッピーエンドの後の物語にこそ、僕は興味がある。しかし、それは現実の中にしかないのならば。