修行が嫌いな理由

 ゲームでも趣味でも勉強でも、それをやっている状態が楽しいのであればずっと出来るんだけれど、将来的に得になるから今は我慢みたいな、つまりは修行状態になると嫌になって全く出来なくなってしまうんですよね。逆のタイプもいますけど。ストイックとか、マゾとか言われるようなタイプが。ちょっと考えてみて思ったんですけれど、これって、僕が社会、宗教、家族、趣味、仲間、真理みたいなものに価値を見出していなくて、未来に虚無感しか抱いていないせいかと思ったんですよね。

 つまり、多くの人にどうして今、我慢し、頑張っているかを訊くと、大切なもののためにとか、未来のためにとかってなるじゃないですか。この未来っていうのは、たとえば成長した自分だとか、それに与えられる名誉や金銭、家族や仲間の利益を指すことが多いんですよね。僕はそう言ったものに何ら意味を見出していないから、頑張ることが出来ない。どうせ死ぬのに、どうしてつらいめにあいながら、努力しているんだろう、馬鹿らしいし、虚無だとなってしまう。別に刹那主義でも快楽主義でもないんですけれど、結果として似たようなものになっているかもしれない。だって、馬鹿らしくないですか? どうせ死ぬのに、何を我慢しているんだろうって思ってしまう。たぶん、彼らはそれが楽しいんでしょうね。僕もそうだったら、もうちょっと社会に適合できたのだろうけれど。