システム部門ベストゲームを探して

 シナリオ抜きにして、めちゃくちゃやったゲームを思い出していたのだけれど、「世界樹の迷宮4」があった。シリーズ全体をちょこちょこやっているけれど、最後までやっていない作品もある中で、「世界樹の迷宮4」はこれだけで5周ぐらいした。単純にゲームの面白さだけで。

 一部にぶっ壊れ性能があるのだけれど、それは避ければいいし、外連味の強い職業があったりして、とても楽しかった。段階ごとに解放される要素も良く、それを目指してクリアしていく面白さがある。

 普通に、全部が解放されている「世界樹の迷宮」シリーズだと、結局、パーティがある程度固定になってしまって、相手が同じでも、やることが同じになりがちだ。でも、「世界樹の迷宮4」は、クラスが途中が解放され、しかも、それがとても魅力的なクラスだからやりたくなるし、中盤でサブクラスが解放されることで、中盤のダレるところで加速がついて、最後までやれる。迷宮が小さめなのも、緩急が付きやすくて良い。「世界樹の迷宮」シリーズにおける最高傑作だと思う。

 あと、何があったかな。シナリオの面白さはゲームが終わっても振り返ることがあるけれど、システムの面白さってプレイ中に感じるものだから、あまり思い返さないせいか、思い出しにくい。デジタルゲームもプレイが終わった後に、感想と評価とかまとめて置けば良かったな。

意図

 「ブルーピリオド」の最新巻を今更読んで(本当に好きな作品は本当に好きなので、気負ってなかなか読めない)気付いてしまったのだけれど、僕は、作品に触れることで、同じ視点を持つ人がいる、ということがわかるから好きなのだと思う。主観的な評価、つまり、その作品が好きかどうかは、それによって判別されていると感じる。

 少し前から考えていたことなのだけれど、僕はデータ的なものにあまり興味がなくて、データの向こう側にある意図が好きだ。そして、それに触れることで、創作者の価値観を捉える。そして、それが自分と合っているのか、ということをみているのだろう。意思があり、その世界の捉え方が自分と同じであるかどうかが大事なのだ。

 決して、意識しているわけではなかったのだが、今思うと、幼少期の頃、僕の身の周りに僕と同じ視点を持った人間がいなかった。別に大した希少度ではない。ただ、幼少期の接触範囲だと、マイノリティになってしまう。その程度のレアリティだ。でも、いなかった。家族というだけで、幼馴染というだけで、同級生というだけで、誰かと共にいたが、価値観が一致したことはなかった。プロトコルが違った。鬱陶しかった。弟や友人を同じ価値観にしようとしたが、失敗した。当たり前だ。制御しきれなかった。わかっている人間がいなかった。これは、別に、僕のことをわかってくれない、というわけではない。世界の真理を、本質を、本当に意味のあることを、理解していない。なぜか、人々は雑多なことに気を取られて、本質を叫んでも理解してくれていない。幼くて意味がわからないながらに、そういう感覚が常にあった。

 だから、ある種の作品に触れると、ほっとした。ああ、そうだよ、お前はわかってる。その観方で正しいんだ。世界はそうできている。なぜだか知らないが、僕の周りではそうじゃ無いことになっているが。そういう感想を抱いた。だから、一時期、僕は現実世界における自身の周辺に関して、ひどく無関心だった。本当に興味がなかった。そこに、同じ価値観を持った人間がいなかったからだ。

 そして、たぶん、それは今も引き摺っている。僕にとって、創作に対する最高の誉め言葉の一つは、『こいつはわかっている』だし、多くの人と相対した時に思うのは、『こいつはわかっていない』だし、そういう人がやっていることは『しょうもな』だし、そういう人とは自然と関係を断ち切る。自分の価値観しか認めていない。いや、違うな。他の価値観があることもわかっているし、そうなることも理解はできる。ただ、僕は僕の脳という物理的な檻に囚われているし、そうなっている以上、僕はそちら側の意図を理解できない。だから、プロトコルが同じ人とだけ、その意図だけが把握できれば良い。作品を通じて、僕と同じ考えの人がいるとわかるだけで良い。その考え方が正しい。世界はそうなっている。

「劇場版 少女☆歌劇 レビュースタァライト」の感想 追補

 ちょっと、メモ代わりに感想で読み取りが不足していたことの箇条書き。3回目で確認できたことと、次に観る時に確認すべきこと。

 

 

 ふたかおのレヴューで上掛けを切ったのは、サイドミラーの欠片でした。よく見ると、鏡から(本来ならば車体につなぐための)棒が出ている。サイドミラーはすれ違った相手を確認するために後ろを見るためのものなので……

 

 競演のレヴューで、ひかりが裏方に逃げるところで、舞台裏が見えるのだけれど、魂のレヴューなどの未来で使用されるものも置いてある。

 

 ひかりがいない華恋の回想シーンでは、常に雨が降っているとのこと。確かにそうである気がする。そもそも、該当のシーンは少なく、覚えている限りでは雨だったので。

 

 クロディーヌの上掛けのボタンが最初に弾かれるところで、「展覧会の絵」のフレーズ。額が大量に降ってきていて、まさに、天堂真矢の展覧会。

 

 セクシー本堂の仏は、仏なのでフランスを指していて、クロディーヌの暗喩とも。過剰な読み取りなのか、意識しているのか微妙なラインだなーと思う。清水の舞台が先行しているはずなので。清水寺なら、千手観音で菩薩なので、自然とそうなる。まあ、クロの件も含めて清水寺にしている可能性も十分にあるが。ちなみに、最初に切り合いをしながら、本堂はこちらと書いてある看板通りに移動していってセクシー本堂、というところもしっかりしている。

 

 アバンや最後の言葉のレヴューなどでたびたび出てくる大量のポジションゼロが何を指しているのかが良くわからなかったのだけれど、監督のインタビューで、ワタシ再生産は、舞台ごとに舞台少女が自身を再生産していることだと言っていたので、おそらく、そのたびに、生まれ変わって(死んで)いると考えられ、その棺桶、ということだろう。つまりは、やってきた舞台、過去を指していると考えてよいと思う。あるいは、大量の他の舞台少女の過去、と拡大した解釈もできるだろう。両者の意味合いで使用されていると思う。次に観る時は意識して確認したい。

 

 白い塔は、新宿(だっけ?)の焼却炉を指している。バミリで表現されている時、正位置ではそのまま塔の形をしているのだけれど、逆位置だと、その形が棺桶のようにも見えるので、おそらく、それは意図して使用されている。これも後で要確認。

 

 ワイルドスクリーンバロックも、常に東京タワーの足元で行われている。レヴューの背景にはうっすらと、東京タワーの足元が常に表示されている。また、競演のレヴューで、ひかりが立ち直るところでは、逆位置の東京タワーが背景にうっすら映っていたはず。これはTV版から同様のモチーフで、逆位置の塔で再生産ですね。

 

 負けた方にも何らかの形でT字(ポジションゼロ)が与えられているそうなのだけれど、大場ななだけちょっとわからなかった。別れ際の場所になるのかな? 香子はキーホルダー、真矢は契約、華恋は傷跡、というのはわかるのだけれど。ひかりも含めるのならば、退散する時のゴールテープ先のT字型の奈落への入り口か。

 

 赤いひし形の星も意図的に配置されているそう。東京タワーが折れることによって、上からみた時に2つの赤いひし形になるようになっている。あと、レヴューや回想などで、時々、ひし形の赤い星が1つ、照明や反射などの形でちょくちょく使われている。華恋とひかりが離れ離れになっている時は1つになっている? 完全に確認できていない。要確認。

 

 

 まあ、とりあえず、こんなところで。ディテールでしかないはずなのに、楽しいですね。こういうのを見つけるのは。意図がしっかりしているからかな。

人の意思を尊重していると言ってくれ

 稀にVtuberの動画とかを見ると、やっぱり、結構苦手だなーと思う。企画先行のものは何とかなるのだが、人が中心だときつい。なんというか、ガワが二次元だったとしても、その向こう側に複数人で創られたキャラクターとかではなく、単純に一人の人間がいるのがきついな、と思ってしまう。

 つまり、僕は単純にリアルの人間が苦手なのだ。

 逆に、キャラクターを人が演じている場合は、だんだん大丈夫になってきた。アイマスのライブとか2.5次元の舞台とかだ。まあ、ウルトラマンショーと本質が変わらないしな……昔は諸事情あって苦手だったのだが、それが薄れてきた。こちらの場合、Vtuberとは逆で、人というのはガワでしかなくて、その向こう側に本質がある。そう感じられるようになってきた。そのイデアをみるためならば、今はまだ苦手ではあるが、克服できる、と感じる。

 Vtuberが基本的に駄目になってしまったのは、その本質がリアルな人そのものになってしまったからだ。創作されたキャラクターや、コンテンツではなく、あくまでリアルな人間の一側面に絵をかぶせただけになってしまった。そうなると、本質はリアルな人間なので、駄目だ。たとえば、Vtuber同士の関係とかも楽しめない。外側からの圧力によってつくられてしまったものではないか、と感じてしまうから。創作されたキャラクターならば、仲が良いという設定になっていれば、ライターさん同士や声優さん同士がたとえ仲が悪くても、キャラクター同士は仲が良い。概念だから、そう設定されていればそうなっているので、誰かが負担に思うこともなく、真相もない。そういうのが良いのだ。これ、完全にコミュ障の意見っすね。外部(ファンとか会社とか)が人の感情を捻じ曲げてくるのが嫌いなんだよな。人の尊厳を大事にしていると言ってくれ。

多忙と睡眠

 なんか妙に忙しかったのと、睡眠が根幹的に破壊されてしまっていたから、先週は大変だった。忙しいと言っても、半分ぐらいはソシャゲとか何だけれど。2つぐらいしか、しかも、めちゃくちゃ緩いゲームしかまともにやってないのに、かなり時間取られとるんやが。めっちゃ掛け持ちしてたり、スキップないゲームやってる人はマジですごいね。時間の使い方を教えてもらいたい。でも、どうせ実践できないのだろうけれど。

 睡眠、一度ずれるとなかなか治らないのがきつい。規則正しく起きる理由が健康ぐらいしかないので、容易に崩壊してしまう。でも、睡眠が壊れると、日中はぼうっとして何もできず、夜も夜で寝たいのに寝れないという中途半端な時間を過ごすだけになってしまって、結果として自由時間があほみたいになくなるから良くない。なんだかんだ、規則正しいそれが良いとされるだけの理由はある。

 けれど、どうにも上手くいかないのだよな。定期的に、規則正しい生活が壊れるイベントがやってくるので、どうやっても維持できない。スクラップアンドビルドで生きていくしかないのか……

映画のススメ

 このチャンスを逃すのは、もったいないな、と思い、半ば強制的に「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」を妻に勧めてしまったのだけれど、あまり良いことではないな、とも思う。なんというか、「アベンジャーズ/エンドゲーム」とかでもそうなんだけれど、めちゃくちゃ貴重な機会っていうのがあるじゃないですか。ネタバレせずに、「マンダロリアン」を観れる贅沢さというか。そういう、本当に貴重なものを味わってほしくて、強く勧めてしまうことがあるのだけれど、人に勧められるという時点でバイアスがかかってしまうこともあるし、何が正解なのかな、とよく考える。

 僕自身は周りで話題になっていたら、つまらないと思っていても、1クールぐらいは頑張ってみることもあるし、信用できる人から勧められたら、それなりに観たりはするし、それに全く抵抗はない。ただ、妻のような腰が重いタイプの人は、無理に勧めないと観ないし、でも、無理やりやったら、天邪鬼なので嫌いになっちゃいそうだな、という懸念がある。

 それでも、実際、「魔法少女まどか☆マギカ」とか「メギド72」とかはごり押した結果、下手したら僕以上にハマっているので、勧める価値はある……と思いたいのだが。でも、基本的にはその人の機会損失がもったいないと思って勧めるわけだけれど、語り合える人を増やしたいという気持ちも全くないわけではないし、まあ、エゴでしかないよな。悪としか言いようがないかもしれない。

 でも、当時性というのが確かにあるんだよな……映画館でやっている期間は短いわけだし……悩ましいな……

でも、ドイツには住みたくないな

 「思えば遠くにオブスクラ」という漫画の上巻を読んだ。ベルリンに移住したカメラマンを描いた、エッセイ漫画的な、半創作作品になっているのだけれど、ドイツ旅行の時の空気が思い浮かんで、楽しく読めた。普通にテーマや描写も良く、単純に漫画として面白かったのが、前提としてあるけれど。

 海外旅行、少ししか出来ていないのだけれど、全て、本当に行って良かったなーと思う。まあ、全部行かなければ、トータルで安い車ぐらいは買えたような気もしなくもないが、車よりも価値はあるかなーという感じだ。結局、やることはそんなに変わらなくて、散歩したり、博物館や動物園に行ったり、「メギド72」をやったり、ブログを更新したりしているだけではあるのだけれど、それはそれで面白いという感じだ。わずかな環境の差異が与える、微妙な心境の変化を楽しむことができる。本当は、こんなことにならなければ、昨年は大英博物館に行けたはずなんだが……静まったら静まったで、全体的に値段上がってそうで嫌だなぁ。アジア人ヘイトにも巻き込まれそうだし。しばらくしたら、行きたいね。

 最近、妻が良いことを思い付いたというように、冬はオーストラリアで暮らすことを目標にしたらどうか、ということを言いだした。最低限の荷物を持って、安宿で数か月を乗り切る。仕事はリモートで、ということらしい。彼女は本当に寒いのが苦手なので、地球の仕様を利用して、寒さから逃げようという魂胆だ。まあ、世迷言ではあるのだけれど、今のところ、僕の仕事は完全なリモートだし、出来なくもないのかもな。やる気があるか、という点が最大の問題で、問題だと思っていることは、案外、大したことのないことかもしれない。そういうのもいいのかもな。もう、色んなことに飽きてしまっている。この平穏な生活にすら。罪深いことに。