鍛錬

 正直に言って、かなり不思議だった。どうして、こんなに成功できたのだろう、と。自分なりの工夫はもちろんしてきたし、努力はしたつもりだが、そんなことは当たり前で。どうして、10年経っても達成できない人が山のようにいることを、すぐにできたのだろうか。

 その一端がわかる出来事があった。

 しばらく前、他者の作品をその道のプロの編集者さんがテストしている様子を見ていた。そして、僕が問題だと思っていた(一応、言っておくと、その瑕疵は明白で9割以上の人が指摘することになると思う)箇所に言及し、それに対する修正案を提案していた。その案はかなり合理的であり、僕だとしても、それを提案するし、それに修正するだろう、といった内容だった。

 しかし、後日、その作品を見てみると、肝心の部分が直っていない。どうしてかと聞くと、フレーバー上の問題だと言う。しかし、率直に言ってしまえば、そんなことは誰も気にしていないのだ。受け手はそんなことにまったく興味がない。クリエイターにとって、その作品は自分の創った唯一の作品なのかもしれないが、カスタマーにとって、その作品は無数の作品の一つに過ぎない。細かい、狂気的な執着は、傑作を生むことは確かにある。ただ、それは狂気的である必要があり、このケースには当てはまらなかった。単に、意味のないこだわりによって、ゲームの完成度が明らかに劣っていた。

 こういうことの積み重ねなのだと思った。

 それによって、作品が持っていたはずの輝きが失われていってしまうのだ。アイデアがもったいないな。

 僕は、率直に言うと、自分の作品に思い入れがない。フレーバーなどどうでもいいと思っているし、現に何度も修正した。それは、その作品をより面白く、より正しい形に修正する過程で、適したものが変わっていったからだ。より面白くなるのなら、自身のアイデアなどなくなってもよい。こだわりがある部分は、その方が面白くなると思ってやっているだけだ。まあ、目的が異なるんだろうな。僕にとっては、面白い作品が生まれることだけが正義で、他のことはただそれに付随する何かでしかない。