期待と危機

 期待感のようなものをあまり抱かないようだ。悲観主義とは少し異なり、何でもないと感じている、という方が近い。現実主義、虚無主義ということなのかもしれない。

 良いことが起きたとしても、それはある程度、備えていたことであって、今回は偶然何とかなった、と思うし、悪いことが起きたとしても、それはある程度、備えていたことであって、やはり、そうなってしまったか、と思うだけなのだ。これは射幸性が低いとも言え、僕がガチャやギャンブルにハマらない理由に近いものだと思う。

 たとえば、今、家を建てる、というような検討をしているが、妻がそれを検討している時のような高揚感はない。引っ越しは何度もしているわけだし、家の中において、自身の意向が最大限に反映された場所に引っ越すだけだという感覚がある。そして、それによって、劇的に生活が良くなる、という感覚もない。生活の質が向上するだけだろう。何か、特別なことが変化するわけでもない。

 あるいは、映画やドラマを観ていても、どこか傍観的で、あまり熱中できない。スパイアクションものを観ていたのだが、妻は本当に手に汗握り、心拍数が上がり、真剣に観ていた。僕は、どのように展開するのが一番良い形なのか、そのためにどのような工夫を凝らしているのか、ということを学び取ろうとして、観ていた。その差だ。

 感情がない、ということをよく妻に言われる。もちろん、そんなことはないのだが、薄いのかもしれない。特になんとも思っていない、ということが多すぎるようだ。食べ物なども、特に好きでも嫌いでもなく、無、というカテゴリに属するものが多すぎて、驚かれることがある。なんというか、やはり、ドーパミンが不足しているんだろうな。何事も実感がわかない。危機感がないと、自分事として見られない。