上、横、隣、下の違い

 ふと、気付いたのだけれど、僕が「チェンソーマン」の一部のシーンや、「鬼滅の刃」のほとんどに共感し得なかった理由は、家族観の違いにあるのではないかと思った。よく考えてみると、近年のヒットしている作品には、家族観が反映されているような作品が多い。まあ、別に近年に限った話ではないのだが。

 どうにも、その辺の感覚が一般的な常識的なそれとは違っていて、端的に言ってしまうと、なんとも思っていないんだよね。家族に対して、共に生活している(したことのある)共同体という感覚しかない。別に僕の家族に問題があるというわけではなくて、むしろ、典型的であり、典型的であるがゆえに恵まれている家族であるのは間違いない。仲も良くも悪くないし、過干渉でも、没干渉でもない。本当に何もない。

 それもそうだろう。古い時代ならまだしも、この時代にわざわざ家族に対して思うことなどなくて、本当に正しく他人なのだ。そういえば、結婚したけれど、双方の両親は面識がないままに今まで来ているな。必要性を感じないのだよね。面倒さが勝ってしまう。

 兄弟もいるのだけれど、特にどうこう思っているわけではなくて、妻なんかが義弟のためにと身を粉にして頑張る姿などを見ると、どうしてそんなことをするのだろう、と素直に疑問に思ってしまう。僕の家族が明日死のうがどうでもいいけどな。長寿を全うしようがどうでもいいが。

 一方で、妻に対しては執着している。そうでなければ、共に住むことなんてしないだろう。そう、妻、あるいは、これから先、一緒に住むことになったら、その人とかは、自分でそうすると選択した人々だ。そういう人に対しては、ちゃんと執着があって、個体として認識しているから、そうなっているのであるが、上や横の家族というのは、僕が選択した結果ではない。自動的に発生したものであり、それに執着を持て、というのが無理なのだ。過干渉であれば、戦わなければいけない相手になるのだろうが、幸いとそうではないので、なんとも感じないのである。

 まあ、そういうことが言えている時点で運が良かったのだろう。