因果逆転

 目的と手段が逆転してしまっている人たちを厭う気持ちが強い。

 たとえば、マーケティングを中心として流行った作品は好きではない。なぜならば、創作はより良い作品を作り出すということが最大の目的であって、その結果として評価されるという因果であるべきだと考えるからだ。流行らせたいから、儲けたいから、評価されたいから、という理由で作られた作品は、やはり、劣っている。それぞれの目的を果たすことは出来ても、素晴らしい作品にはなれない。それはそうだ。素晴らしさだけを目指して、何度も試行錯誤された作品ですら、その域に達することは少ない。それなのに余分な目的を持った作品が、人を驚かせるような完成度を持つことはない。

 創作はミューズに捧げるために創っていると言った人がいたが、それだけが正しい態度のように思える。本当の科学が、この世の事実を暴くためだけに存在するように。何の意味のないものに、狂気的なまでに純粋な思いで追及するから、その全てが輝くのだ。その煌めきに、見入るほどの素晴らしさがあるのではないのか。

 どうして、皆は簡単に目的と手段を置き換えることができるのか。手段を信じるのではなく、結果を信じることができるのか。僕にとっては難しいことを、皆は平然としてやってのける。それが楽しく生きていくために必要な技術という気がしてならない。