論理展開

 ルールが一貫していないことに対しての怒りが根底にあるように思った。僕が慣習や伝統のようなものを唾棄しているのも、つまりは、昔からそうなっている、という理由で論理的な結論とは異なることが続いているからなのだ。

 システムやシナリオにおいても、どうして、AはBなのに、CはBではなくDなのか、という点にロジックがないものをめちゃくちゃ嫌っている気がする。論理的な説明が欲しいのだ。

 政治(これは国政というより、もっと広義なもの)とか、コミュニケーションが嫌いなのも、結局、周囲の圧力とか、利益関係で適当に決まっていて、論理によって導き出される最適解に収束しないからだ。

 スポーツが嫌いなのも、大抵のルールがガバガバであって、審判みたいな曖昧な存在が曖昧な裁定を行うからだ。

 暴君が全てを決めるというのならば、それでいい。ただ、暴君が全てを決める、と明確化しておいてくれ。そうではなく、聖典から論理的に導いていますよ、という建前があるから、聖典に照らし合わせると矛盾が発生しますよね? となってしまうのだ。

 反して、ゲームはルールが明示されているのがよい。その通りに動くのがよい。映画やゲーム、漫画で描かれる物語は、テーマ構造の論理的な展開であって、現実とは異なり、論理展開によって進展していくのがよい。

 つまり、僕が良く出来ているシナリオやシステムを愛しているのは、その全てに理由があり、明確な論理によって展開されているからなのだ。その観念の世界が心地よい。よって、この現実は本当にゴミだと思っており、具象の世界に留まる時間はなるべく短くしたい。