本質、あるいは概念

 本質で生きている、と言われる。本質、というと本物、真実、という感じがしてカッコいい感じになってしまうが、ここで言う本質、というのは、面倒くさい雑多なものを取り除いた部分、虚飾ではない部分、というぐらいのニュアンスである。

 それに近いようなことは自分でも感じていて、なんというか、皆、概念の操作が苦手というか、物事を概念化して、その概念を峻別していくことが苦手だなーと思う。違っているものを同等に扱い過ぎ、というか。

 多分、皆、勘違いをしていて、具象の方が曖昧で雑多なんですよね。目の前にコップがあるとすると、皆は具体的なもので、確固たるものだ、と扱うのだけれど、実際はそうではなく、コップはコップとして使用されているが、他の側面も多分に存在し、それが割れたら別の存在になったりして、非常に複雑で多様で理解しがたいものなのだ。それを、コップ、という概念にすることによって、理解しやすくしている。つまり、概念の方が確固たるもので、シンプルですっきりしていて、理解しやすく、操作もしやすく、便利なものなのだ。具象は難しい。

 皆はそれがよくわかっていないから、変に具象に例えたりして、物事を理解しようとしてしまう。そのせいで、わかりにくくなっているのだ。具象は複雑だから、それを理解しようとすれば、それは理解が阻まれるのも納得だ。

 概念、というのはめちゃくちゃ扱いやすく、便利。