「輪るピングドラム」の感想

 「輪るピングドラム」をついに最後まで観切った。非常に良かった上で、自身の考えを整理したいがために、考えを連ねていく。

 

 まず、物語の構成は「ユリ熊嵐」「さらざんまい」にも共通している形で、バンクシーンも含めた象徴的なシーンを中心として、物語は複数人の思惑を持って進んでいき、ミッドポイントで重大な事実が明かされ、クライマックスに向かって、それぞれの秘密が順番に明らかになっていく、という構成になっていた。これについては、幾原監督の癖なのだと思うが、非常に白眉な構成であると思っている。まず、常人はここまで前提条件を隠したまま、ミッドポイントまで物語を展開させていくことができない。そこまでの速度を保つことができなくなってしまうし、自身の伝えたいものが伝わっているか不安になり、変に解説を入れてしまったり、思わせぶりなシーンを大量に入れてしまうだろう。それを最小限にしている。それがこの監督の特徴であると考える。結果として、十分な下地が明らかになった後、視点の変化が起こるし、面白いなーと感じさせる。まあ、その分、最初の数話の置いてけぼり感に繋がっているんだろうけれど。もう3作目なのに、序盤は未だに置いてけぼり感を抱かせるもんな……

 

 そして、テーマ構造がはっきりとしている。本作において、主人公たちはまず、『愛する者のために戦う』というテーゼ側にいる。皆が周囲の影響を省みず、『愛する者のために自身がそうなるべき』と思った姿になるべく、もがいている。

 アンチテーゼ側にいるのは、『自身の望みを叶えるためなら何をやってもよい』という生存戦略だ。それは剥き出しの純粋な生命が取れる唯一の生存戦略であり、非常に強力で、我々生命体が個に帰着する以上、そうならざるを得ないものである。これはつまりテロリズムであり、『95』に『地下鉄』に象徴されるものだ。自身が理想と思うもののためなら、何をしても構わないという姿である。

 テーゼ側にいる主人公たちも、物語が進むに連れ、選択を迫られる。『愛する者が死ぬ、消えてしまう』という事実に直面するのだ。主人公の一人は、これをせまられることによって、アンチテーゼ側へと、呪い側へと進んでしまう。世界を壊したとしても、愛する者を救うべきだと。

 それこそが、自分勝手であり、呪いであり、自己愛なのだ。それで本当に愛する者を救うことはできない。

 本当に救うことができるのは、自己犠牲だ。無償の愛であり、自身を燃やしてもいいとする気持である。罪の果実を共に食べ、同じ傷を負っていくことでしか、救うことはできない。これがジンテーゼということになる。

 人間が、生物が、個々の箱に閉じこもっている限り、利己的にならざるを得ないし、それは死んでしまうと全てがなくなってしまうことになる。だから、死を必死で避けようとするし、死から人をよみがえらせるようなことまでしようとしてしまう。しかし、自己犠牲による愛はそうではない。むしろ、その犠牲による死が始まりで、分け与えることの出発地点、始発となるのだ。そして、その愛は循環し、結果として、輪り、全ての人を救済する……ことの始まりになる。だから、最終話で、冠葉から昌馬に林檎が分け与えられていたことが明らかになることが最後のピースになる。昌馬から陽毬、陽毬から冠葉へと林檎が渡っているのは描写されていたから、これによって、循環関係が成立する。そして、今度は昌馬から陽毬、陽毬から冠葉にそれが渡され、逆の循環も成立するのだ。三人兄妹であるのは、三位一体のモチーフにも絡んでいるだろうし、円環であることを強調するためだと考えられる。

 

 秀逸だと感じたモチーフは、『分割』だ。これは最初、アンチテーゼ側のモチーフとして登場する。それぞれが個人の思惑で好き勝手に動いた結果として、日記は分割されてしまう。そういう、悪いモチーフとして使われていた。しかし、最終話では、果実(栄養であり、罪である)を分け与える、ジンテーゼのモチーフとして使用されている。この、同じものを使って、別の視点の表現をしているのが、とても上手いと感じられた。

 また、地下鉄を「銀河鉄道の夜」から取って、運命や自己犠牲のモチーフとしている一方で、地下鉄サリン事件からテロリズムや避けられない悪い事象というモチーフでもあり、重ねて、日常であるとか、大量に人がいるのに、それぞれが不干渉である(個々の箱に入っている以上、他人は他人でしかない)、愛していると言われぬ、選ばれない者たちのモチーフにもかかっているし、円環状に繋がる無償の愛という表現でもあるのは、どうやったら、その発想が思いつくねん、という感じで脱帽だ。

 ペンギンが飛べない鳥であり、海の中に生存戦略を見出した存在であることや、ファーストペンギンの意味から借用して、自己犠牲(最初に犠牲を覚悟で飛び出さなければ後ろにいる家族などの愛する存在を守れない)というモチーフにもしている。

 このような形で、様々なモチーフが様々な側面を持ちながら登場することで、概念上の展開に深みを持たせているし、各人物もしっかり過不足なく、テーマを補強する形に配置されている。

 

 本当にすごい監督で、めちゃくちゃ好きだなーと思った。映画版も観たいし、次回作にも期待したい。