維持コスト

 なんで、習慣的に続いているものをそのまま続けようとするのだろうか。不思議でしょうがない。続けているのにもコストがかかるのだから、合理的でなければ削除した方がいい。もちろん、削除してみて、本当は必要だった、ということがわかるかもしれない。でも、それはそうなったら復活させればいいだけの話だ。

 なんというか、人々は僕の感覚よりも、変化に伴うコストを過分に見ている、という理解がある。変化することを嫌がる。変化が大変なことだと思っているのだろう。もちろん、そんなことはない。人間は変化に適応するように進化してきたのだから、勝手に適応してしまうのだ。皆、大丈夫になってしまう。残念ながら。だから、面倒なことは止めてしまえばいいし、やりたいことをやればいい。どうせ、最終的になるようになっていくのだから。

 何にそんなに固執しているのだろう。どうして、それを守りたいと思うのだろう。僕にはわからない。興味のあるなしが極端なのかもしれない。守りたいと思うようなものがないからこそ、自身にしか興味がなく、自身がなくなるという死に尋常ではないストレスを感じているのかもしれない。色々な形質の積み重ねなのだろうが、結果として、反保守的、反伝統的、という一つの形質が突出して発現している。