人間はコンテンツを消費せざるを得ない

 趣味がない人間にとって、家族や友人というのがコンテンツになるから、そういったものを増やす、あるいは増やしたがる、という意見をみた。これは言いえて妙だと思うし、科学的な知見からみても、おそらく正しいのではないか、と考えている。

 今日もまた、子供や仕事を持っている奥さんの幸福度が低く、子供も仕事も持っていない人が最高(まさに僕の妻なので、正しいと感じる)という記事がトレンドに入っていて、議論の的になっていたようだ。そもそも、満たされている人は、子供や仕事を求めないんだよね。現状で十分なのだから、コストを支払って、挑戦する必要がない。仕事は辞職すればいいが、子供は捨てることができないので、挑戦してみたけれど、自分には向いていなかったという人が量産されていくのだろう。親子ともに悲劇的な結末だな、と思う。

 実際、子供がいて、最高って言うような人は、僕が社会人をしていた中では宗教に狂っている人か、超保守的な人ぐらいしかいなくて、他は苦労しているようだった。僕が尊敬できるような、温和で理性的な人ほど、子供がいることの問題について理解していたように思える。だから、余計に欲しくなくなった、というのもあるのだが。無趣味な人ほど子供を持っているようにも思えたので、やはり、そういうことなのだろう。

 とはいえ、今は娯楽飽食の時代だ。ネットフリックスやディズニーに千円ぐらい払えば、アホみたいに金がかかった、最上級のコンテンツをいつでも観ることができる。僕は、そういうものを楽しむ方が理性的で人間らしくあり、家族や群れの仲間を楽しむという方が、畜生でもできるような獣性の娯楽であるという認識でいるけれど。

 いいじゃないか。家族や同僚に人生を左右されて、途方もないコストを支払うぐらいならば、ちょっと労働するだけで手に入るような対価を支払って、知的なコンテンツを消化していく方が。絶対に得をしている。それをよしとしないのは、自身の獣性、本能から来るものなのだ。理性的に生きていこう。偉業を成し遂げたって、子供を産んだって、傑作を生みだしたって、最終的に自身は死に、人類は滅び、地球は破裂し、宇宙は凍る。その中でどんなにもがいたとしても、意味も価値もないのだから。