「ユリ熊嵐」の感想

 ずっと前から観たいと思っていたのだが、なんだかんだで観る機会がなく。しかし、庵野監督の色々とか調べていて、幾原機運が高まったところで、「輪るピングドラム」の再始動というニュースに背中を押されて観たのだが、面白かった。

 「さらざんまい」もこの後に観たのだが、こちらの方が好きかもしれない。

 モチーフの使い方が上手く、暗喩的ではあるが、テーマとしては結構直球で、良くわからないと言われることが多いのは、物語構造の所以なのではないかと思った。しかし、僕としては、その物語構造が好きだ。

 まず、1話からかなり度肝を抜かせるようなインパクトを出す。それはビジュアルもそうだし、用語もそう。1話は物語構造も少し特殊になっている。そして、実際には、その奇妙な状態には、しっかりと理屈が付いており、それをクール全体で解明していく、というような全体の構造を取っているように思える。また、回想とバンクの多用が観られている。前述したように、1話の時点で、物語の開始ではあるが、原因はもっと前にあるという構成を取っているので、回想が混じるのは自然なことだ。ただ、「輪るピングドラム」~「さらざんまい」の範囲では、回想の時には回想であるという断りが入ることが多いし、誰の、いつぐらいの、というのもわかりやすいので、混乱はしなかった。また、捨てキャラクターがほとんどおらず、ちゃんと皆の関係に理屈付けがされていて、多様な関係性が結ばれているのも、非常に好みだ。

 これらの構造は、外連味がありながらも、実際にはかなり理屈付けがしっかりとされており、その中心にロマンチックな監督のテーマが内包されている、というものになっている。これに特異性があると感じられた。

 ただ、これらの構成ゆえに、時系列を整理して観れない人や、情報が足りない初見者とか、特に途中離脱者にとって、難解に感じるということなのだろう。ちゃんと観ていれば、特に不可解に思う点はなかった。まあ、細かい部分の考察や矛盾までは追えていないとは思うが。

 このような理性的な構成であるのに、作品のコアが愛情というのが面白い。

 「ユリ熊嵐」も愛がテーマになっていて、その点、僕はあまり興味がないとも言えるのだけれど、科学的な何かをテーマとして衒学的な作品と見せかけて科学的な誤謬がある様々な作品なんかよりはよほど、説得力があるし、僕自身が誤りを見つけにくいのも良い。

 というか、「ユリ熊嵐」というより、「ユリ熊嵐」と「さらざんまい」を観た感想になってしまっているな。

 

 「ユリ熊嵐」はかなり好きだった。自己犠牲(というか自己改革)こそが愛という結論も良いし、そこから導き出されるクライマックス(というよりモブたちのエピローグ)がとても良い。世界は明確に変わらないが、何かが僅かに変わるという感じで、好感が持てる。このようなエンディングや、隠喩を多用することもあり、ほんわかしたアイコニックな世界のようでいて、実際に起こっていることは現実的だったり、残酷であったりしつつ、そこから変に逃げないのがとても良い。普通に人(や熊)が死んでビビるが、そこでこそ、真剣みのあるテーマと結論になっている。おとぎ話やセカイ系のように、人と熊(理性と獣性、社会性と本能性と捉えても良いだろう)の融和や断絶を容易に描かず、向こう側に行かねば理解できないこともあり(こちら側に来て欲しいというのは傲慢であり、真の愛ではなかった)、分かり合えない部分はあるが、しかし、気持ちが通じ合うこともあるというような現実的なジンテーゼであったと感じる。

 かなり良かったな。もっと早くに観ておけば良かった。