諦出生主義

 反出生主義ではない。というか、反出生主義は履行できないと考えているというのが正しいだろうか。前に、アウトローに属するような人間が子供を望むのは意外だ、という風に書いたと思うが、これは親に値するわけでもない人間が子を望むな、と思っているわけではなく、単に、子供を育成しやすいように構成された人間社会から外れたような人間も、子を欲しがるのか(だとするなら、社会に属した方が楽だろうに)と思ったからである。

 反出生主義者の主張は確かに正しい側面を多く含んでいて、出生の是非について考えたことのない人々よりは先にいるとは思うが、しかし、進化などの科学的な側面の検討がされていないと考える。つまり、残ること(生存、繁殖)は、最も進化的に残ってしまう形質なので、他の形質とは一線を画すものになるのだ。というより、他の形質も最終的にはここに(本来は)帰結すると考えてよい。

 つまり、どんなに個人に対して有利な形質があったとしても、繁殖をしなければ、その個体が死亡した時点で、その形質は失われ、どんなに個人に対して不利な形質があったとしても、その個体が繁殖した時点で、その形質は残ってしまう。繁殖に際し、個人が死亡する生物などを見れば、それがはっきりとわかるだろう。それを子のためなら、自己犠牲をいとわない神聖さだと感じて感動する者もいるらしいが、ずいぶんとグロテスクな心酔だと言わざるを得ない。そうではなく、たとえ、個人が死んでしまっても、繁殖さえできれば、その形質は残されてしまうという残忍さが露わになっている。

 これは別に他の生物に限った話ではない。人間だって、多くの研究により、子供を成さない人間の方が、幸福度の指数が高いということが明らかになっている。もちろん、子供がいなくても幸福でいられるから、子供を持っていないという関連を考える必要があるが、しかし、これは事実なのだ。子供は親を不幸に性質がある。

 僕は、こういった事実を考えない、調べない、検討しない、といった人々にうんざりしている。何らかの原因で子がなせなかった、という人々ではなく、子を持たない選択をした人々しか、信頼が置けないとすら思っている。それは別に、子供がいなくてもいいからとか、子供が嫌いだからとか、子供を幸せにする自信がないからとか、そういう理由だからなのではなく、子供は自分を不幸にする半面、子供を産むことに何らメリットが存在しない事実をきちんと科学的に理解しているから選択しない、とする人々にしか、理性を感じない。

 なぜならば、繁殖というのは前述したように、最も強い遺伝的バイアスを持つのであって、理性によってそれに疑問を持ちえたものでしか、その形質に反抗できないと考えるからだ。だから、反出生主義はいくら正しくても、それが残り、主流となることはない。しかし、そのような思想を持つ人間しか、真に物事を考えていると判断することはできない。