根底
よく僕は、そもそも、と考えてしまう。
たとえば、子供を産むべきかと考えると、そもそも、繁殖とは、進化とは、生物とは、死とは、ということが気になってしまって、それを調べる。就職先を考えると、労働とは、人生とは、死とは、幸福とは、ということを調べ、考え尽くす。
だって、そうでないと意味がないでしょう? これらは物事の根幹を成すもので、枝葉に執着しても意味がない。就職先の企業がどうとか、労働内容がどうとか、そういうことは本質ではなくて、その元にあるものを考えなくては意味がないと思ってしまう。いつも、そんなことばかりを考えている。
だから、例えば子持ちであるなら、子供を産むという判断に適した思想を持っているから産んだのだろうと思う。けれど、そうではないんだよね。みんな、驚くほどいろんなことを知らないし、驚くほどいろんなことを考えていない。どうして、それで僕の考えの先に行けるのか、全く理解できない。本当にわからないんだ。みんなはどうして、根底から自分の価値観が、それに基づいた人生が壊れてしまうことが怖くないのだろうか。
僕はいつも、考えすぎだとか、衒学的だとか、頭でっかちだとか、天の邪鬼だとか、そんな風に思われてしまうのだけれど、僕はどう考えても僕のやり方の方が理にかなっていると思えてしまってしょうがない。自分の人生がどういうものなのかを理解していないのに、ガソリン代が5円上がることを心配してどうするんだろうと思ってしまう。けれど、世間はそうではないのだから、本当に気が狂いそうだ。
だって、人生の残機はもうないんだ。0なんだよ。ちょっとの段差を落ちてしまえばおしまいさ。僕だって、72機ぐらいあれば、その半分ぐらいは何も考えずに試してみるだろうさ。でも、そうではないのだから。
それとも、僕がおかしいのか? 僕が狂っているのか? 全く理解出来ない。社会にいる人々と会話をすると、常に断絶を感じる。