タイトル回収

 この間、映画を観た。それなりに期待していた作品で、でも、観ている間は良く出来ているが、それほど自分の好みではないなーと思って観ていた。

 でも、終盤の展開は良くて(まあ、その中でも好みじゃない要素が含まれていたけれど)、それなりに感心していた。そして、そのままの流れで、エンディングシークエンスに入って、音楽が流れ、最後にタイトル回収って感じになったんだけれど、何故かそこで泣いてしまった。涙が流れるという感じではなく、普通に泣く、というレベルに近い。

 これは、僕が完成度で泣く、と言っている現象に近い。ただ、今回は映画全体の完成度が高いとは思っていない、という点が特異的であって、驚いた。

 タイトル回収に弱い、ということはあるのだけれど、それが作品の最後をまとめる場合には特に好きである。それが何故かと言うと、その作品が『完成』というとニュアンスが微妙に異なるんだけれど、そういう感覚を与えてくれるからだ。『総括』というべきだろうか? まあ、平易に伝える言葉はそれになるかもしれない。

 あと、予想をしていなかった、という点も大きいだろう。伏線回収が上手い作品は、回収されるということがある意味で前提になり、よほど上手い回収をしても、なるほど、こうしてきたか、というような感想になってしまう。この作品において、少し馬鹿らしいようなタイトルが、このような形で回収され、この作品を総括するようなテーマと対応するとは思っておらず、不意を突かれて感情が揺さぶられた、というのもある。

 そう考えると、テーマ的なものなのかな、良くわからない。普通に皆が感動するシーンでも泣く(「トイ・ストーリー3」とか)んだけれど、どうにも、ちょっとずれている部分があるような気がして、それが自分にとって大切なものなのだろうから、深く確認したいという気持ちがある。

 たぶん、象徴性に関わっている感覚だと思うんだよな。タイトルが回収されることによって、その作品自体が、その本質が、そのテーマが上手く総括されている、という感動、というか。大袈裟に言えば、イデアが眼前に現れた感動、ということになりそう。