好悪の解像度

 他の人と会話していて、その人があるゲームのある部分が好きだ、という話をした。そこで、僕は、その部分のどの側面が好きなんですか? ということを問うたのだけれど、そこで言葉が固まってしまった。そこまで考えたことがなかった、と言っていた。

 僕にとって、それはとても不思議なことだった。もっと要素を分解して考えなければ、自分にとって面白いと感じている部分がわからないのではないか、と思ったからだ。

 たとえば、あるRPGが好きだとして、コマンド式なのが良いな~と思ったとする(前述の件はこれぐらいの解像度だった)。でも、これでは非常に中途半端だ。コマンド式のどこが面白かったのか、を分析しないと、同じコマンド式でもつまらなく感じるゲームがあるかもしれないし、逆に別の方式でも面白く感じるものがあるかもしれない。コマンド式はゆっくり物事を考えられるのが良いのかもしれない。リアルタイム性のあるゲームが苦手だし。そう思うのであれば、ターン制のシミュレーションなど、他のゆっくり考えられるゲームと対比していく。確かに、ターンベースのゲームが基本的に好きだった、ということがわかるかもしれない。そんな感じで、自分にとっての好きは最終的にどの原子まで分解できるか試したい。そういう欲求が生まれないのだろうか?

 もしかしたら、僕は細かい要素に関して、具体的な好悪がはっきりしている人間なのかもしれない。だから、他の人から同じようなカテゴリに思える作品も好き嫌いがはっきりしていて。その差を考えるために、延々と比較を続け、なるべく解像度を上げようとしている。