欲望がないメリット

 家が降ってくるかもしれない。詳細は精査しないといけないのだが、まあ、簡単に言えば、親族の死亡で余った家が手に余っており、要る? って感じっぽそう。そこからが色々と精査しないとなのだが、まあ、何とか使えるんじゃないの? リフォームとかして住む? って感じ。

 家の購入(じゃないが)というビッグイベントですら、降って湧いたように発生し、そのままコスパよく済ませてしまえそうなのは笑ってしまうな。結婚も手続きとか色々な都合で早めにやらなくちゃいけなくなって、慌てて市役所に書類を提出しただけだし。なんというか、本当に適当な履歴だ。

 子供も必要ないから、その辺のことを考えなくていいのは、本当に自由だ。子供がいると校区とか家の間取りとか色々と大変だと思うが、そういうのが全くない。やっぱり、子供いない方が圧倒的に自由じゃないか? なんというか、偶然ながらに色々と噛み合って、運よくコスパよく運用できる可能性がある。

 思うに、そんなもんなんだよな。しっかりとした目標があって、それに対して努力している人は、まあ、その分色々と苦労して、挫折を味わったり、達成感を味わったりできる。それは主体的に行動している人の特権だ。ただ、特に望むものはなく、何となく、効率良く生きていれば、制度を自由に活用できるし、誰かのおこぼれで楽が出来たりする。その実、そちらの方が普通らしい生活を簡単に手に入れられるのだ。普通になろうと努力したりする方が、普通になれなかったりする。ままならないものだな。