実感

 物心ついた時から、とにかく、日常生活における実感がない。フィードバックが正しく行えていない気がする。ふわふわとしていて、現実感がない。家事をしていても、仕事をしていても、なんというか、そこから何も得られていない、というか、無無無という感じなのだ。食事のように、生きていくのに必要なことから得られる快楽が弱すぎるのが良くない。どうして、人々がそんなに食に執着しているのかが良くわからない。なのに、ゲームをしていたり、映画を観ていたり、小説を読んでいたりすると現実感があるのだから、笑ってしまう。つまり、感情が動いているかどうかなのだろう。重要だと思っているか、執着を感じられているか、ということだ。

 日々のどこに感情を置けばいいというのか。何に執着を得ればいいというのか。過度に快適に開発されきった日常のどこに着目すべき点があるのか。結局、マッチポンプを仕掛けて、脳の反応を無理やり引き出す他ない。元々虚無である人生というものの上に、さらに虚無であることを決定づけられた創作を走らせ、そこに生まれる刹那的な感情のみに自身の感情の寄る辺を見つけているのは、明らかに倒錯しているのだが、しかし、そうしなければ、逆に嘘になってしまう、という根本的な問題がある。自身の生まれついての性質と、後天的な思考思想の結論が致命的にかみ合ってしまって、逆に問題を生み出しているという感覚が消えない。