「マトリックス」の脚本的美点

 「マトリックス」シリーズの新作が出る、ということで、復習がてらに「マトリックス」を観たのだけれど、めちゃくちゃ面白いやんけ……となった。設定やビジュアルが優れていることは言うに及ばず、脚本がめちゃくちゃいいんだよね。正直、2・3作目とかはここが良くなかったので、世間的な評価もイマイチなのだけれど、1作目は脚本がいいので、テーマとかが読み取れなくても面白い。

 船員の裏切りによって、モーフィアスが囚われるシークエンスが物語にフィットしていて、とても良い。裏切りに対しても、普通なら、それを引き延ばすところを、わざと観客にはすぐにみせちゃう。みせちゃうことによって、逆に観客の緊張感を高めていて、ちょうどダレるタイミングが引き締まることになっている。

 また、預言者との会話がとても良くて、テーマ的なことを語って、示唆に富んでいるところもそうではあるのだけれど、ここで、モーフィアスを救うとネオは死ぬ、ということを明言させてしまう。また、ネオも救世主ではない、と言ってしまう。これによって、それでもネオから預言者の話を聞きだそうとせず、しかし、ネオを信じ抜くモーフィアスを引き立てることになっているし、モーフィアスが囚われたと知った時に、ネオがそれを救うことを選ぶことが無鉄砲ではなく、自己犠牲になっている。なぜならば、自分が死ぬとわかっているのに、それを選択するからだ。

 この脚本における白眉もここと重なっていて、要は、自己犠牲を選択する場面と、実際に死ぬ場面を分けていることだ。同主演の「コンスタンティン」などを見ればわかるのだが、普通、聖書になぞらえた自己犠牲から死亡、復活という流れはまとまって起こることが多く、それは必然的にクライマックスになる。しかし、「マトリックス」では分離している。モーフィアスを助けると選択した時点で、自己犠牲、なのだ。だから、この点からネオは明らかに一段階強くなっていて、『弾丸を避ける』ことや、『エージェントと戦う』ことすらできるようになっている。そして、その後に、死亡と復活を経て、真に覚醒したネオは、『弾丸を避ける』ことや、『エージェントと戦う』ことすら必要ない、というもう一つ上の段階を描写出来ている。そして、自己犠牲はミッドポイント、死亡と復活はクライマックスに配置することによって、脚本における空白を埋めている。これが素晴らしい。

 テーマもすごいしっかりとしていて、2・3にかけて、大きなことが議題に上がる。逆に言えば、それに対して明確な回答を持っていなかったことや、回答よりも問題定義の方が多かったことが、2・3作目の不評にも繋がっていると感じるが。

 傑作は時代を経ても傑作だと言うことがよくわかったよ。CGの質とか関係ないもんな。本当に。