レヴュースタァライトのテーゼ構造

 「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」を観に行った。また、なのである。

 やっぱり、密度が最高で良い。最近、映画を観ると、初見なのに、あとXX分もある……とか思いながら観ているのだけれど、この映画はむしろ逆で、もうXX分経ったの? あとXX分しかないんだけど? と素で思う。

 今回観ていて思ったのは、今作もしっかりとテーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼが用意されているということだ。

 

 TVシリーズでは、テーゼが『オーディションで1位になって、(他人のキラめきを奪って)トップスタァになる』で、アンチテーゼが『二人でトップスタァになる』で、ジンテーゼが『二人でキラめきを奪い合って、二人でスタァライトする』ということになる。

 

 劇場版では、テーゼがまあ、色々とあるのだけど、端的に言うと卒業、つまり自立であり『弱肉強食の社会に出る(wi(l)d-screen baroque)』で、アンチテーゼが『二人でキラめきを奪い合って、二人でスタァライトする』(共依存)である、という点は前も書いた。でも、ジンテーゼとしては上手くまとめられなかったのだけれど、今回思ったのは、『自立しているが、互いに影響を与え合う』ということだ。

 これは、華恋とひかりをみても、わかるだろう。『ひかりに負けたくない』は、ひかりを同等に観て、ライバルに設定することによって、『二人でスタァライトする』という共依存の関係から脱却することを指しているが、同時に、この復活のきっかけになる点は2つあって、1つは、目標(『二人でスタァライトする』)が他者から与えられたものだとしても、自分を犠牲にして頑張ってきた過去(『燃やせ燃やせ』のところでなぜか泣いてしまうんですよね。なぜかわからないが、この辺がめちゃくちゃ好き)は本物、という点で、これを燃料にするのだけれど、同時に、もう1つは、ひかりからもらったものなんですよ。それはタワーの上からのひかりの掛け声(『ここが舞台だ! 愛城華恋!』)だし、ひかりとの約束でもあるし、ひかりに負けたくないという気持ちでもある。また、ひかりも、その本質として、華恋に蘇らせてもらっているわけで。自立・卒業を強調するが、同じぐらいに他者からの影響をポジティブに描いている。

 これは、99期生の皆に当てはまるということがわかるだろう。だから、『自立しているが、互いに影響を与え合う』というのが、この映画のジンテーゼとして考えられる。

 

 また、この点が、僕がこの映画が出色の出来だと感じる部分なのだが、TVシリーズジンテーゼが劇場版のアンチテーゼとなっている入れ子の構造だ。このようなテーマのつながりがあるから、シリーズとしての創作作品として、非常に素晴らしいものになっている。MCUとか、007とか、テーマの焼きまわしをしていること多いもんな。それどころか、敵が明確なテーマを持っていないというか、対立項がなく、敵がそれを体現しておらず、自己葛藤だけで進んでしまう作品が多い。これでは退屈になってしまうのは当然であると言える。レヴュースタァライトは、この大枠の構造がしっかりとしているから、中に色々と詰め込んでも面白いのだ。他の作品もここに力を入れてくれ。概念をしっかりとしてくれ。概念でしっかりと戦ってくれ。見た目のアクションも大事だけれど、それ以上に、概念における対立が大事なのだ。