現在は時間軸上のただの1点に過ぎない

 「メッセージ」を観返したのだが、やはり、名作だという感想を得た。

 

 観ながら思ったのだが、僕は決定論の作品が好きなんだよな。

 まず、一点に、僕の科学的見地によれば、少なくとも人間の行動といったようなマクロ的な行動に関しては、ほとんど決定論的である、という理論を採用していることが挙げられる。ランダム性はあるかもしれないが、それは自由意志ではないし、基本的にはマクロ的な行動に反映されない程度のものだと考えている。僕たちは、操縦席に座っているのではなく、偽のハンドルを与えられた助手席に座った子供なのである。だから、決定論の作品はその正しさからすんなりと頭に入る。

 次に、創作作品というもの自体が、決定論的であることが挙げられる。ゲームなどでは選択肢はあるものの、結果として用意されたものをなぞることしかできない。ほとんどのエンターテインメントは、決定論的である。だから、作品そのものと作中内の設定の違和感が少なく感じられる。

 最後に、死という絶対に避けられないものがある限り、人間の営みはある種の決定論的な存在であると言えるからだ。どうせ死ぬし、どうせ何もなくなる。それで、どうするのか、という点が人間のテーマなのだ。「TENET」や「メッセージ」は、それでも、主人公は希望を持って行動する、という結論を出す。それをそのまま賛同することはできないにしても、少なくとも、その絶対的な死と対面し、立ち向かっているのだ、という仲間意識のようなものが生まれる。

 

 このような点から、決定論的な作品は好きだ。MCUは、「アベンジャーズ/エンドゲーム」などは、特に決定論的だったが、明確に並行世界みたいなものを導入し始めて、それが自由意志で(でも、厳密には解決していなくて、それこそ、「ロキ」が駄作な……ってそれはまあいいか)、みたいなこともやり始めているので、それをどう上手く調理するつもりなんだろうなーって思っている。(たぶん、「What if...」みたいなのや、役者が変わるのも柔軟に対応できる~ぐらいにしか思ってないだろうけれど)