ゲームが学校の勉強と置き換わってしまったとしたら

 妻は風呂に入るのがめちゃくちゃ嫌いで(小学生か?)、風呂に入らなければいけないのに、入るのが面倒くさいとか言って、数時間を浪費したりしている。

 僕は日々の習慣はほぼ自動的にこなしてしまうタイプなので、その気持ちが全くわからなかったんだけれど、詰みゲーを前にした時のアレに近いかもなーと何となく思った。

 ゲームをやったことによる知識とか体験は欲しいのだけれど、ゲームをやるのが面倒くさいんですよね、正直。まあ、そのおかげで、色々と考えたりなんだりできるのだと思うのだけれど。だって、本当にゲームをするのが好きだったら、ずっとやっているだろうし、やるのに夢中でちょっと俯瞰したりとか、難しいですよね、たぶん。なんか、中途半端にゲームが好きだから、出来ていること、というのが色々あるなと最近気付き始めた。

 ゲーム、やりたくないんですよね。たぶん、マスターピース級の作品を除いて、つまらないと思っている時間の方が多いんですよ、僕にとって。でも、最大瞬間風速がすごかったり、あるいは、その体験から得られるゲームデザインの知識とか、そういうものが欲しくてやっているんだと思う。基本的に、勉強みたいになっちゃってるんですよね。あーあ、そうなりたくなかったな。子供の頃は、全然、ゲームが買えなかったのが良かったんだろうな。あの飢餓感が、僕をゲームに向かわせてくれたのだろう。今となっては、本当に面白いゲームしか、心から楽しめなくなってしまっている。