ゲームへの愛情の方向性

 ゲーム好きなの? 嫌いなの? ということをふと思った。というのも、割と何かにつけて理由がゲームだったりする。ゲームができないからスマホ変えたりとか。でも、それほどゲームやらないというか、いや、やっているんだけれど、ゲームって四六時中やっている人も本当に珍しくないじゃないですか。それがゲーマーの標準みたいなところがある。話題作を全部クリアするためには、それぐらいやってないと崩せないし。でも、僕はそうじゃないんですよね。暇があればゲームをやっている、ということはない。なら、それってゲームが好きなのか? と思って。

 考えてみると、ゲームをやることはそんなに好きではないのだけれど、ゲーム自体は好きというか、ゲームという概念が好き、みたいな風に思ってきた。何を言っているのかという感じなのだけれど、でも、実際そうなんだよな。ゲームを純粋に楽しんでいることってあまりなくて、システムがどうだとか、シナリオがどうだとか、こういう実装にする必要性があったのかとか、シナリオのセットアップがあまくないかとか、そういうことばかりを考えてプレイしている。だから、疲れてしまって、あまり積極的にプレイしたくなくなってしまうのだろう。まあ、純粋に楽しんでいる時もあるのだけれど。

 何なんすかねこれ。自業自得というか、自縄自縛というか、あまり良いことではないような? ゲームプレイよりもゲームデザインの方が好きだし、物語を体験するより構成することが好き……ってコト? よくわからない。たぶん、似たような話に、ゲームをやることが好きっていうのは、ゲームを創るのが好きっていうのとイコールではないんだよ、という話があるから、そういうことなのかもしれない。やるのも、創るのも、そんなに好きではないけれど、考えるのは好き、みたいな。あんまり知り合いになりたくない人種だな……色々と煩そう……