椅子の喪失

 椅子が壊れた。

 小学校の頃から、椅子を傾けていないと落ち着かない人間であったことからもわかるように、椅子にはロッキング機能が必須だと考えている(それはそれとしてロッキングチェアも持っている)。ワーキングチェアであっても、腰の角度が90度を保ったまま、安全に傾けられることが大事だ。背もたれだけ傾くのはリクライニングである。それでは面白さが足りない。

 今の椅子はかなり気に入っていて、それなりに高いものではあったが、数万程度で十万円を超えるような椅子ではないし、コスパも良いと思っていた。そして、いつものようにロッキングで遊んでいると、パン!という音がした。発砲音というより、爆発音に近いもので、何かが足の隙間から吹き飛んでいった。そして、椅子のロッキング機能が死んだ。見るまでもなく、僕の体重と勢いを数千回と支えてくれた鉄の支柱が折れ、強力なバネが吹き飛んだのだ。そして、そのバネを失った椅子は、まるで死んでしまったかのように、背もたれが後ろに傾いたままだ。僕が座っていないと、垂直に立つこともできなくなってしまった。

 どこにも被害はなく、その点は非常に幸運だった。急いで購入店に連絡したが、保証は切れているし、現物を見て修理できるか確認に行くのも来週になるという。

 本当に困っている。

 椅子がないということは机が使えないということである。

 机が使えないということは筆記具やコンピュータが使えないということである。

 つまり、文明を喪失したということだ。

 壊れてわかる、文明の大切さ。冷蔵庫やスマートフォン、椅子といった素晴らしい発明品のおかげで、僕たちは文明社会に行き、思索を巡らせることができるのだ。マジでどうしようこれ……